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年を取るというのはどういうことか考えてみた

 ぼくは20歳のころから老化による自分の能力の低下に対する恐怖があった。

 

 たぶん、そういうひとはほかにも多いと思う。

 

 いったい何歳まで自分は働けるのだろう。年を取ったときにどれぐらい能力が現実問題として下がるのかということにずっと関心をもって、自分のまわりを観察してきたのだが、現時点での結論を簡単に書いてみようと思う。ぼくの主観的な感覚なので正しいかどうかはわからないし、どの程度、一般性があるのかどうかもさだかではないが、実際のところ、年をとるっていうのはどんなかんじなのという疑問への回答のサンプルにはなるだろう。

 

(1)記憶力

 

 子供の時分から他人よりも物覚えが得意なタイプのひとがいる。ぼくもそのタイプだった。特に努力をしなくてもいろんなことを覚えてしまう。

 テストの点数もそこそこいい。こういうタイプは20歳を過ぎるころから記憶力の低下に苦しむことになる。

 

 記憶力というのは分かりやすい指標なので、自分でも頭が悪くなったと思い始める。

 

 単純な記憶力はやはり年をとると低下していくのは間違いないだろう。気になるのは、これが年齢によってどんどん低下するのか、ある程度、断続的に低下するもので、いったん下がると、しばらくはそのままなのかだ。ぼくの感覚的には20歳を過ぎたどこかで記憶力に質的な変化がおこり大きく下がる。以後はそれほどは下がっていないというものだ。

 

 むしろ20歳以前が例外な期間であり、記憶力については特別なボーナスがあると考えた方がいいだろう。脳がまだ使われていない領域がたくさん残っていて、とても性能の高い部分に記憶を格納することができる。そんなイメージだ。外国語習得でネィティブ並になるためには25歳以前に覚えないと無理だとかいうような俗説があるが、同じような理由だろうと思う。人間が記憶に使うメモリには種類があり、高性能なものは若い自分に使われてしまう。

 

 さて、主観的な記憶力の低下については30歳ぐらいで止まる。30歳以降はエピソード記憶というらしいが、物事をすでに覚えている知識に関連づける記憶が得意になり、記憶力がむしろ再び上昇したような気にさえなる。まわりを見る限り、主観的な記憶力については少なくとも70歳ぐらいまでは問題は起こらないように思える。

 

(2)瞬間的な判断力

 

 ある状況においてなにをすればいいのかを瞬間的に判断する力は、ぼくの見解では年齢とともに上昇する。なぜかというと、しょせん瞬間的な判断というのは過去の経験にもとづくパターン認識によるものだからだ。当然、経験が多ければ多いほど正確な判断をおこなえるだろう。おそらく厳密には反射神経が年齢とともに衰えるように瞬間で判断する時間は年齢とともに増していると想像される。ただし、それこそ反射神経的な速度を要求される判断でなければ、0.1秒の判断に2,3病かかったところで、現実の多くの問題の解決には誤差みたいなものなので、過去の経験による判断能力は年齢とともに増していくと考えていいだろう。

 

(3)理解力

 

 これは、記憶力と関係があり、似たようなカーブを描くというのが僕の考えだ。ただし、単純な記憶力と違って、理解力というのは、物事を関連づけて覚えるということだから、ピークは三十代以降だ。但し、これはいままでの自分の経験からなる記憶に基づく能力だから、理解できるベースのないものは理解出来ない。全く新しい経験の体系を理解する力は二十代以降は急激に低下する。

 

(4)シミュレーション能力

 

 どこをどうしたらああなってこうなるみたいなことを予測する能力はやはり年齢と経験と共に向上する。

 特に人間関係におけるシミュレーション能力と人脈のコンボは老人たちの最大の武器だ。

 

(5)体力

 

 これは、間違いなく低下する。毎年低下する。際限なく低下していく。もう俺も若くないなと思い始めてから、数年ごとに何度も同じことを実感することになる。

 脳の能力とは関係なさそうに見えるが、そんなことなく集中力やどれだけ長い時間働けるかは体力で決まる。元気がなけりゃヤル気もでない。

 中年以降の再就職が難しいのは新しいしごとを覚えられないことと、体力がないから、仕事のアウトプットの量が絶対的に少ないからだ。

 

(6)感性

 

 年を取ると感性が鈍るという。感性が知らない物事に出会った時の新鮮な驚きと定義するならその通りだろう。

 若くて無知な方がなんにでもびっくりする=感性が鋭くなるのは自明だ。

 感性を時代の雰囲気を捉える力と定義するなら、感性は世代ごとにことなるだろうから、同世代を生きている人間の方が同世代の心を捉えることは得意だろう。

 鈍くなるとかそういうものではないと思うが、離れた世代の感性はだんだんと掴みにくくなるのはしょうがない。

 だから、若い感性を維持するというのは若い世代との接点を自分の生活の中にどう維持するかという問題におきかえられる。

 今の日本の文化の大きな流れとしては、おたく文化とヤンキー文化の二つがある。ここ数十年間、世の中の中心を形作ってきたのはヤンキー文化のほうである。

 なぜ、おたく文化が世の中の中心になれないのかについての僕の仮説がある。

 それは世の中で文化を作れる権力を持っている人の若い世代との接点が、キャバクラとかなんじゃないかということだ。

 AKBにせよEXILEにせよ夜の街の文化に強い影響をうけている。

 ヤンキー文化はそういう接点で上の世代のクリエイターに強い影響を与えて主流派になりえたのだと思う。

 

 ひるがえって考えるに、おたく文化の担い手たち側はそういう正のスパイラルが、世代間で働かなかったから、どんどん高齢化がすすみ先鋭化して行ったのではないか。

 

 この構造が正しいとするとおたく文化の昨今の興隆には、ヤンキーたちにもジブリ、ワンピース、モンハンに代表されるおたく文化の一部が浸透してきている点と、ネットを介した新しい世代間交流の仕組みが存在している点は非常に重要であり注目に値するだろう。余談になるが、ぼくはこれらのことから今後の若い世代のオタクがリア充化することは歴史的な必然であり、避けられないと思っている。日本の文化のメインストーリムの担い手が若い世代の感覚をネットを通じて吸収しはじめているからだ。

 

 マーケティングをやる人間にとってはいい時代だ。若い女の子と仲良くなって仕事のふりして「最近、何がはやっているの?」とか聞かなくてもネットを見ていれば若い世代の空気は調べられる。おそらくマーケティングやる人間のプロとしての寿命はネットによって伸びるだろう。

 

 

(7)人脈

 

 人間はひとりでできることには限界がある。そして自分ひとりでできることなんて年齢とともに少なくなる。

 およそ40歳を超えた人間の労働力としての価値はすでに習得した知識か、持っている人脈かの2種類ぐらいしかない。

 そして若くして活躍する経営者とかクリエイターはじじいキラーと呼ばれりして、なんらかの後ろ盾が存在することがほとんどだ。

 この人脈は傾向としては当然ながら年とともに強力になっていくものだが、減少する場合もある。

 ひとつは人脈も自分とともに年をとっていくということだ。自分の仲がいいひとがあまり偉くなっても現場への影響力は逆に下がっていったりする。また、サラリーマンであれば定年があり、そうでなくても一丁あがりとラインを外れていったりする。老いた権力者も最終的に影響力を失っていくのは自分の人脈が引退したり死んでしまうからだ。

 また、もうひとつの留意点としては、人脈とは相互扶助の仕組みだから自分自身が力を失うと自分の人脈も利用できなくなることが多いということだ。

 

 

(8)言語的な表現力

 

 人前でしゃべる能力は、場数で決まるので、場数を踏んだ人生の経験者のほうが一般的に話は面白くなる。ただ、会話において当意即妙な答えを返すという能力は、反射神経的な速度を要求されるので、ぼくの感覚では40歳以降はだんだんと自分の話すのは得意でも相手の話を聞いて適切な答えをリアルタイムで返すという能力はどんどん失われていく。老人はだいたい会話の反応が遅くて、相手の話を聞かないという特徴を共通して持つ。ただ、仕事を現役でやっているひととそうでないひとで結構差がつくというのが印象でひょっとしたら、それは自然淘汰で問題ないひとが残っているだけなのかもしれないが、60歳、70歳でもほとんど問題ないひとは多い。しかし、それでも、だいたい80歳超えると実務的な会話はかなり難しくなるというのがぼくの印象だ。

 だから、会話能力に問題がであると、いくら人脈があっても使えないから現役で仕事をするのは肉体的には80歳が限界かなと思っている。ひょっとするとネットがこの限界を超えさせるのであれば面白いと思っている。

 

 

(9)ギャグの面白さ

 

 それが面白いかどうは別にして、ある単語をなんの関係もない別の意味の文章に結びつけるという典型的なおやじギャクの能力は30歳を過ぎると開花する。これを笑ってもらえるかどうかは人間の能力というよりは偉さで決まる。偉いひとの冗談は人間は本能的に面白く感じるという性質を持っている。おやじギャグを笑ってもらえないことを気にする人はギャグを磨くよりも偉くなったほうが早い。

 

(10)人格

 

 ぼくが人生で出会ったさまざまなひとを観察した結論だが、人間の人格は環境で決定されるので年齢は関係ないというのが結論だ。

 なんとなく物語的には老人というのは賢者であり人格者であり、みんなを導いてくれるものだが、実際は老人でも性格悪いひとは悪いし、人間が円くなるとかよくいうが、それは周りと散々衝突した結果のある意味敗北だったり、体力、気力の低下が主原因で、人格が人生経験により、素晴らしくなるというのは例外的なケースだと思う。むしろ年をとるといまの日本の社会だとひがみっぽくなったりして、より性格は悪くなるという傾向があるように思える。

 

 

(11)客観性

 

 若さゆえのあやまちという。若いと自分を客観的に見ることができず感情のおもむくままに暴走してしまうことがよくある。これは年齢によってどうなるか。自分を客観的に見れるようになるのはだいたい30歳ぐらいからじゃないかというのがぼくの意見だ。

 

 基本は30歳を過ぎてからも向上していく能力に見えるが、老人の独善性をどう考えればいいのかが、まだ、未熟な僕としては判断がつかないところだ。客観性はあるけど、そのうえで、わがままなのかもしれない。

 

 

(12)好奇心

 

 好奇心が強いかどうかは性格に起因するようだが、好奇心の強いひとでも、どうも年を取るとだんだんと好奇心が弱くなって保守的になっていく。好奇心を維持し続けることは本当に大変なことのようだ。

 

 好奇心を年をとっても維持しつづけているひとの特徴は自分が好奇心を持つと決めたもの以外の情報をシャットアウトしていることだ。

年をとっても好奇心が旺盛なひとは同時に飽きっぽいし、興味ないと判断するのも早い。

 

(13)創作意欲

 

 いまのところ僕には創作意欲と年齢の関係はあまりないように思える。ただ、体力的な問題で集中力が衰えるので、ものづくりにかける根気のほうが足らなくなるという現象はあるかもしれない。それと本人がつくりたいものと時代とのマッチングの問題だろう。人間は年をとってもクリエイティブさは全然衰えないというのがぼくの見解だ。それよりも思うのは年齢を問わずに生活が満たされると、創作意欲はなくなるという現象をよく見聞きする。

 

(14)環境による能力の変化

 

 最後に能力の個人差について思うことを書く。まず、最初の就職は重要だ。20代に覚えた仕事のやりかたは一生ついてまわり抜け出せないものらしい。とりあえず僕の場合にも自分の年齢まではまったくそのとおりだ。

 そして仕事を覚える能力だけでなく意欲も20代は最高だ。最初の就職が重要なのは、そこで20代の間に意欲を失なうと、二度と同じような新鮮な気持ちで意欲をもてなくなることになる。若い時に純粋な意欲というものはかけがえがなく、かつ汚染されやすい。

 

 そして経営者でも管理職でもいいが自分の判断で物事を動かせる仕事をすることが非常に重要だ。よく、経営者は孤独だ、とかいう言葉を聞くが、それはたしかに真実の一面ではあるかもしれないが、業界を見ていると経営者は70過ぎても元気で、サラリーマンは60近くになると急激に老け込んでいるのが現実だ。やっぱり孤独だかなんだかしらないが総合的には経営者はストレスフリーであり、健康で長生きする傾向にあるように思う。

 

 経営者でなくても仕事が現役かどうかで人間の能力の低下具合は一変する。やっぱり一線で活躍することが大事なのだ。引退すると老ける。ハッピーリタイアなんて幻想を持っているひとは捨てましょう。

 

 人間は最後の瞬間まで働いていて、そのまま斃れるのが幸せだ。老害上等だよね。むしろほとんどの老人が老害になれずに消えていくのが、いまの競争社会の姿だろうと思う。

 

実際にやっぱり大変なことだよ。年をとってもなお一線でいつづけるのは。