入院生活七変化 その2 安静の大獄


ベッドの上で寝返りすらもできずにじっとしている入院生活というのは、なかなか辛い。景色もほとんど変わらないわけで、病室の窓から見える景色というのが世界の全てみたいな感じになる。

窓の外が明るいか暗いかで大きな違いだから、太陽の出る時刻とかに敏感になる。あー、真夏でも、日の出はどんどん遅くなっていて、昼間の時間は減り始めているんだなあ、とか思ったりする。

 

そうか、だから、最後の一葉、みたいな小説が生まれたんだなと今更ながらに実感した。

 

よし、これは最後の一葉ごっこをするしかないと思って、窓の外になんか手頃な木がないかを探してみたが、窓の外はとても見晴らしがよく、季節は盛夏だ。

遠くに見える樹木には鬱蒼と葉っぱが茂っており、とても最後の一葉ごっこができる雰囲気ではない。

 

病室の窓から遠くに見える樹木。最後の一葉ごっこをするには少し葉っぱが多すぎる

 

さて、生まれて初めて全身麻酔で手術をしたわけだが、手術そのものは気を失っている間に終わるので問題ない。入院当日の1回目の手術は17分で終わった簡単なもので、体への負担もそれほどない。

 

全身麻酔による気絶から意識を取り戻して、最初に運ばれるのはリカバリールームだったが、正直、全く疲労感もなくて、やっぱり全身麻酔にしてよかったという感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

ただ、下半身の感覚はない。特に手術した右足は全く感覚がなくてどうなっているか分からないし、知りたくもない。上半身と、左足は一応は動くが、体全体が、非常に重い。頭もぼーっとしていて、よく働かない。痛いとかそういうのはなかったが、じっとしながら何も出来ず、ただ、時間が過ぎていくのを待つというのがとても辛かった。

 

あー、これは携帯持ってきたけど、誰かとメールとかニュース見るとかそんなことできる感じじゃ全然ないわ。と思った。2回目の手術の時にはAirPodsも持ってきて、ずっと音楽聴いて気を紛らわそう、と固く心に誓った。

 

辛いのはトイレだ。看護婦さんに手伝ってもらわないとおしっこもできない。一晩ぐらい我慢するかと思ったが、点滴されているせいでおしっこは必ず出るものらしい。

 

おしっこをするときは電動のリクライニングベッドを動かしてもらって上体を30度ぐらい起こしてから尿瓶にすることになる。あまりに屈辱なので、尿瓶は自分の手で持つことにした。さて、尿瓶におしっこを出すのが意外に難しい。人間は大人になるまでにトイレ以外でそんなはしたないことをしないように心理的に強固なバリアを構築している。

 

目を瞑って頭の中でトイレにいる想像をしながらがんばっても、夢の中でトイレに行ってもなかなか現実には出ないのと同じように想像の世界で終わってしまう。

 

しっかりと尿瓶を見つめて、これはおしっこをしてもいい場所だと自己暗示をかけて頑張る必要がある。朝まで30分おきにそんなことを繰り返した。

 

とにかくよかったのは大きい方がリカバリールームでは出なかったことだ。そんなのを看護婦さんに手伝ってもらうのはちょっと耐え難いし、忍び難い。手術前日はX時以降は食べてはダメと言われているが、その前だったら、たくさん食べても大丈夫だろ、なんてことをしなくてよかったと思った。

 

そんなこんなでリカバリールームで12時間以上、時々、背中が痛くなるので姿勢を変えるだけで時間を潰した。3時間ごとに体の中で動く部分が増えていく。

 

じっとしていれば人間の体ってこんな風に回復してくんだなと思った。

 

病室に移っても、ただ、じっとして患部を冷やしまくって時間が経つのを待つということは変わらない。1日ごとにできることが少しずつ増えていく。

 

足が腫れないようにするためには心臓よりも高い位置に上げないといけないということだが、最近は別に足をつったりはしないらしく。滑り台みたいなのに足を載せておけばいい。

 

 

また、足を上げながら食事もしないといけないから、ベッドに上にテーブルを被せるようにしてリクライニングで上半身を起こして背もたれすることになる。当初はこの姿勢を10分間するのもキツかった。

 

 

さて、今回の骨折治療とは、医師の説明を聞いておもったのだが、早く治って退院すればいいというゲームじゃなくて、最終的にどこまでリハビリで元の状態に近づけるというゲームだ。

 

入院期間とか、早く家に帰りたいとか、大事な仕事をやりたいとか、そういうのは、全部、無視して、いかにリハビリで元の状態に近づけるかを基準に判断しようと、僕は考えた。

 

いくつか、僕なりの方針を出したのだが、一つは自分の体からのメッセージに従おうということだ。



例えば食事。はっきり言って病院食は美味いわけではない。病気じゃないんだから、何か、美味い弁当を差し入れようという申し出はあったのだが全部断った。なんか、美味いものを食べたいと気がしなかったからだ。病院食は量も少なくて、お腹もぐぅぐぅなったが、それでも残したりした。なぜなら食欲がなかったからだ。空腹感はあっても食欲がないということは、消化じゃなくてダメージ受けた体の回復にエネルギーを使いたいという体からのメッセージだと解釈したからだ。ただ、栄養素は不足したらまずいだろうから、残すのはご飯を中心にすることにして、おかずはできるだけ全部食べるようにした。

 

それと食欲はないけどチョコは欲しくなったので、チョコの差し入れはしてもらった。これも消化の負担なくカロリーを補充したいという体からのメッセージだと解釈した。

 

右足動かすときにちょっとでも怖いと反射的に思うような動きはやめる。

 

また、仕事も無理してやることはしないと決めた。実際、最初の入院して2週間ぐらいは30分パソコンを触ると熱が出るし、疲れて2時間ぐらいは昼寝しないと回復しないみたいな状況だった。そういう時は無理してやらない。多分、足の回復が遅くなると思った。

 

とにかく安静にして、体がやってもいいということだけやった。

 

今回、入院して、本でも読んだり、前からやりたかった意識とAIのブログでも書こうかと思っていたんだが、そんな生産的なことはできる余裕もなく、ネットもやらず、ただただ、安静に時が過ぎるの待つ。そんな感じで過ごすことになった。

 

さて、2週間もほぼ使いものにならなかったのは、もちろん、入院して1週間後に本番の手術をやったからだ。これが本当にきつかった。つまり入院1週間後も入院2週間後も手術から1週間後という意味では変わらなかったからだ。

 

というところで、今回はおしまい。