立花さんとの対談について

今週の火曜日の立花さんとの対談は完敗でした。多少は期待してみていただいた視聴者の皆さんには本当に申し訳ないです。

 

完敗・・・負けたとはどういう意味か?

 

公開の対談において、相手をやり込めるという意味での勝ち負けなんてありません。

 

どっちが勝ったか負けたかではなく、自分の考えを視聴者にちゃんと伝えることができるか、そういう勝負で僕は負けました。立花さんは自分の考えを伝えられたが、僕はできなかった。

もっかいやれば、なんとかならないか、あのあと色々考えてみましたが、僕には無理ですね。やっぱり僕は文章を書く方が向いています。

 

立花さんも対談の感想を動画であげているようですので、ぼくは文章で対談の感想を書こうと思います。

 

わたしの対談でいいたかったことは事前にもツイートしたようにシンプルで、ガーシー議員のおこなった脅迫行為には、立花さんにも責任がある。という一点です。

 

立花さんは党首であるだけでなく、実際に脅迫行為に積極的に加担していました。脅迫した相手への攻撃は立花さん自身もおこなっていましたし、三木谷氏については暴露するターゲットにすることを指示したことについても対談中に認めています。

 

だいたい、立花さんすらも川上さんの件ではガーシーは言い訳できないと認める被害者であるぼくですら、立花さんに攻撃されてます。最後、土下座されてましたが、やるなら昨年の8月にやってほしかったです。

 

立花さんは暴露のなにが悪いんだと問題をすりかえていましたが、暴露が悪いのではなく、暴露するぞという予告によって脅迫していることが悪いのです。

 

暴露するなら予告せずにさっさと暴露すればいいのです。週刊誌だってそうしています。週刊誌は暴露の記事は書いても、暴露の予告の記事なんか書きません。まして予告だけを毎週連載なんてことはしません。さっさと暴露すればいいのです。暴露の予告だけを延々とやるのは、ただの脅迫です。

 

対談でのわたしのもうひとつの主張は、立花さんがすぐに文句があるなら裁判しろというのは、卑怯でしょうというものです。

 

立花氏は揉めたら裁判で決めるのが一番分かりやすいと何度も主張していて、対談で意見が平行線となったポイントです。

 

でも、ふつうは裁判なんて、そんなに簡単にしません。

たとえば、ファミレスに入ったら店員にいきなり水をかけられたとします。そこで店長に文句をいったら、文句があるなら民事裁判してくださいと言われたようなもんです。ふつうは話し合いでしょ。とか、まず、謝るべきでしょう。

 

もし、謝らないで裁判だというのなら、あなたがそれを主張する正義はいったいなんなのか?という質問に立花さんは、結局、はぐらかして答えませんでした。唯一でてきた答えはNHKから国民を守るのが正義というだけです。それと脅迫行為の被害者に謝らないで、裁判しろと開き直ることと、なんの関係があるのでしょう。

 

さて、とはいうものの私にも大きく反省するところがありました。

 

多くの視聴者は既得権益者と戦う立花さんという構図に喝采を送っているようです。

 

立花さんに、あなたは弱者の気持ちがわからない、と決めつけられたことは、自分が既得権益者に視聴者から見えているという事実をつきつけられました。

 

立花さんに「弱者のためになにをやっているかを具体的に言って見ろ」と挑発されても、ぼくはなにも答えませんでした。

 

でも、それは答えることができなかったのではなく、それを口に出すことがぼくには重すぎたからです。

 

立花さんは政治家で、ぼくは経営者です。政治家なら弱者を大切にしろと簡単にいえますが、経営者のぼくにとっては軽々しくいえる言葉ではありません。

 

なぜなら経営者とは、会社と倒産させずに従業員と家族を食わせることが一番の仕事であって、人間を仕事の能力で待遇に差をつける、ときにはリストラもするというのが仕事だからです。従業員全員を分け隔てなく寄り添うなんて綺麗事をいくらやっても、そのために会社を潰したなら意味が無い。そんな経営者は極悪人です。ぼくは最初に就職した会社が倒産する過程を最後まで立ち会いました。最大500人ぐらいいた従業員の中で社長についていって残った最後のひとりの社員です。そのときに会社を潰すことが経営者の最大の犯罪だと、本当にそう思いました。

 

経営者が弱者に寄り添うなんてそんな簡単なことではありません。

 

ぼくがドワンゴを創業したのは、当時、始まったばかりのネットゲームに嵌まった優秀な高校生、でも社会的には落伍者のレッテルが貼られるだろう人が働ける場所をつくろうと思ったからです。

 

ドワンゴ東証一部に上場したときに部長の半分以上が高卒か中卒、どちらかといえば中卒のほうが多かったことは、ぼくのささやかな誇りです。まあ、続きませんでしたが。

 

営利企業の経営者である以上、弱者を直接救済することを目的にすることはできないと思っています。ただ、弱者は多くの場合、公平なチャンスすら与えられない。普通の人よりも難易度の高い人生ゲームをさせられています。そういったひとにチャンスを与えるということが、ぼくが経営者として事業を立ち上げるときに、ひそかに目指してきたテーマです。動画サイトも教育事業も。

 

立花さんは困った人に冷蔵庫を送ったとか聞きました。それは善いことではありますが、一時の助けでありません。そのひとの人生のなにがしかを引き受けたわけではありません。ぼくはこれまでの人生の中で、多くの他人の人生の一部を引き受けてきました。少なくとも立花さんよりも全然多い人数の人生を背負ってきたつもりです。あなたに「弱者のためになにをやったか」なんて問い詰められて答える筋合いはありません。そんなことをおおっぴらに宣伝するつもりはありません。ぼくが人生において黙って行動で示してきたことです。

 

ただ、そうだとしても、立花さんに指摘された、ぼく自身が既得権益者側の人間にいまなっているというのは、きっとそうなのでしょう。

 

似つかわしくもない贅沢な暮らしをさせてもらっているぼくが、本当にいまも弱者の気持ちが分かっているのか?

 

それについては自問したいと思います。立花さんに機会を与えていただいたことには感謝します。