信頼関係を築けるひとと築けないひと
ぼくがどういうひとと付き合いたいか、付き合っているか、を考えてみた。
人間関係の基本はお互いの信用にある。どこまで相手が自分を信用しているか、逆に自分が信用するかを値踏みすることになる。
これは意識的、無意識的を問わずにすべての人間がやっていることだ。
ぼくが仲がよくなるひとには、なぜか世間的には信用できないひとである、とか思われていることが多い。
そういう一般的に”難しい”ひとと付き合えるのはひとえにぼくの優れた人格の賜物であるとか以前は思ったりもしてたのだが、そういうわけでもないなといつの頃からか考えるようになった。
世間で油断ならないとか、自分のことしか考えないとかいって非難されるタイプの人には共通項がある。他人を信用しないということと、もうひとつそれを態度に出しているひとであるということだ。
他人を信用しないだけならともかくそれを態度にわざわざ出してしまうというのはどういうことか。それはそのひとが本当は他人を信用したいひとであるからに他ならない。本当は他人を信用したいのに何度も騙された結果、人間不信に陥ったのだ。そして人間を信用したいのに信用できないことに不満をもっている。それが他人を信用するまいという態度をわざわざ外に出すというかたちであらわれるのだ。
そういうひととは最終的には仲良くなれることが多い。結局はだれかを信用したいとまだ思っているからだ。
本当にやばいひとはもっと人当たりがいい。他人は信用できないという”悟り”を開いたひとたちだ。もう、完全に割り切っていて他人を信用しないことが当然すぎて疑問をもっていない。他人を信用したいという気持ちはあるとしてもずっと深くに沈み込んでしまって届かない。
そうなるとどうやっても仲良くはなれない。
さて、人間関係でお互い信用するというのは2種類の違った切り口がある。それは自分が困ったときに助けてくれるというある種の運命共同体としての絆を信用するということと、利害関係的にお互い組んだほうが得であるという価値観の共有を信用するということのふたつである。ぼくが仲良くなれないひとでも利害関係での価値観の共有はできるし、信じることもできる。
感情的に人間が求めるのは当然、運命共同体的な絆のほうである。もうひとつの利害関係における価値観の共有を信じるというのは理性的なものだ。
この両者は切り口としてはほとんど正反対だが、実際にはこのふたつが入り組んで絡み合っているのが人間関係だ。感情が勝つこともあれば理性が勝つこともある。どちらが勝つかも一貫しておらず、都合のいいときに使い分けているのが人間だろう。
人間とはそういうものなのだ。感情だけで決めることにも理性だけでも決めるにしても、貫き通すのには大変なエネルギーが必要で、自然にはできない。ここを理解していないと無駄に他人に期待して裏切られたと感じて絶望することになる。
そして感情的なものはむしろなにしろ感情だから個人の勝手でありしょうがないもんはしょうがないのだが、理性的なもののほうが価値観が異なることが自分の理屈では納得いかずに感情的なものに転化したりしていろいろとめんどくさい。
さきほどいった他人を信用しないで自分のことばっかり考えていると非難されるようなひとたちの場合には、ぼくの経験則だが、非難している側にむしろ問題があることが多い。それは利用しようと思って利用できなかったひとに対して非難していることが多いからだ。多くの場合、自分のことばっかり考えていると非難されているひとのほうが自分の信念と価値観を持って行動していたりする。利用しようとする側はそういうのが自分の価値観では理解できないから、利用できないことに腹を立てる、そういう構図がよく見られる。
まとめると、世の中とは、自分の損得だけ考えて他人を信用していない態度をみせるひとが、感情的な信頼関係を本当は求めていたり、お互いの損得だけ考えて他人に近づくひとが感情的に怒ったりする面白い場所だということだ。
年を取るというのはどういうことか考えてみた
ぼくは20歳のころから老化による自分の能力の低下に対する恐怖があった。
たぶん、そういうひとはほかにも多いと思う。
いったい何歳まで自分は働けるのだろう。年を取ったときにどれぐらい能力が現実問題として下がるのかということにずっと関心をもって、自分のまわりを観察してきたのだが、現時点での結論を簡単に書いてみようと思う。ぼくの主観的な感覚なので正しいかどうかはわからないし、どの程度、一般性があるのかどうかもさだかではないが、実際のところ、年をとるっていうのはどんなかんじなのという疑問への回答のサンプルにはなるだろう。
(1)記憶力
子供の時分から他人よりも物覚えが得意なタイプのひとがいる。ぼくもそのタイプだった。特に努力をしなくてもいろんなことを覚えてしまう。
テストの点数もそこそこいい。こういうタイプは20歳を過ぎるころから記憶力の低下に苦しむことになる。
記憶力というのは分かりやすい指標なので、自分でも頭が悪くなったと思い始める。
単純な記憶力はやはり年をとると低下していくのは間違いないだろう。気になるのは、これが年齢によってどんどん低下するのか、ある程度、断続的に低下するもので、いったん下がると、しばらくはそのままなのかだ。ぼくの感覚的には20歳を過ぎたどこかで記憶力に質的な変化がおこり大きく下がる。以後はそれほどは下がっていないというものだ。
むしろ20歳以前が例外な期間であり、記憶力については特別なボーナスがあると考えた方がいいだろう。脳がまだ使われていない領域がたくさん残っていて、とても性能の高い部分に記憶を格納することができる。そんなイメージだ。外国語習得でネィティブ並になるためには25歳以前に覚えないと無理だとかいうような俗説があるが、同じような理由だろうと思う。人間が記憶に使うメモリには種類があり、高性能なものは若い自分に使われてしまう。
さて、主観的な記憶力の低下については30歳ぐらいで止まる。30歳以降はエピソード記憶というらしいが、物事をすでに覚えている知識に関連づける記憶が得意になり、記憶力がむしろ再び上昇したような気にさえなる。まわりを見る限り、主観的な記憶力については少なくとも70歳ぐらいまでは問題は起こらないように思える。
(2)瞬間的な判断力
ある状況においてなにをすればいいのかを瞬間的に判断する力は、ぼくの見解では年齢とともに上昇する。なぜかというと、しょせん瞬間的な判断というのは過去の経験にもとづくパターン認識によるものだからだ。当然、経験が多ければ多いほど正確な判断をおこなえるだろう。おそらく厳密には反射神経が年齢とともに衰えるように瞬間で判断する時間は年齢とともに増していると想像される。ただし、それこそ反射神経的な速度を要求される判断でなければ、0.1秒の判断に2,3病かかったところで、現実の多くの問題の解決には誤差みたいなものなので、過去の経験による判断能力は年齢とともに増していくと考えていいだろう。
(3)理解力
これは、記憶力と関係があり、似たようなカーブを描くというのが僕の考えだ。ただし、単純な記憶力と違って、理解力というのは、物事を関連づけて覚えるということだから、ピークは三十代以降だ。但し、これはいままでの自分の経験からなる記憶に基づく能力だから、理解できるベースのないものは理解出来ない。全く新しい経験の体系を理解する力は二十代以降は急激に低下する。
(4)シミュレーション能力
どこをどうしたらああなってこうなるみたいなことを予測する能力はやはり年齢と経験と共に向上する。
特に人間関係におけるシミュレーション能力と人脈のコンボは老人たちの最大の武器だ。
(5)体力
これは、間違いなく低下する。毎年低下する。際限なく低下していく。もう俺も若くないなと思い始めてから、数年ごとに何度も同じことを実感することになる。
脳の能力とは関係なさそうに見えるが、そんなことなく集中力やどれだけ長い時間働けるかは体力で決まる。元気がなけりゃヤル気もでない。
中年以降の再就職が難しいのは新しいしごとを覚えられないことと、体力がないから、仕事のアウトプットの量が絶対的に少ないからだ。
(6)感性
年を取ると感性が鈍るという。感性が知らない物事に出会った時の新鮮な驚きと定義するならその通りだろう。
若くて無知な方がなんにでもびっくりする=感性が鋭くなるのは自明だ。
感性を時代の雰囲気を捉える力と定義するなら、感性は世代ごとにことなるだろうから、同世代を生きている人間の方が同世代の心を捉えることは得意だろう。
鈍くなるとかそういうものではないと思うが、離れた世代の感性はだんだんと掴みにくくなるのはしょうがない。
だから、若い感性を維持するというのは若い世代との接点を自分の生活の中にどう維持するかという問題におきかえられる。
今の日本の文化の大きな流れとしては、おたく文化とヤンキー文化の二つがある。ここ数十年間、世の中の中心を形作ってきたのはヤンキー文化のほうである。
なぜ、おたく文化が世の中の中心になれないのかについての僕の仮説がある。
それは世の中で文化を作れる権力を持っている人の若い世代との接点が、キャバクラとかなんじゃないかということだ。
AKBにせよEXILEにせよ夜の街の文化に強い影響をうけている。
ヤンキー文化はそういう接点で上の世代のクリエイターに強い影響を与えて主流派になりえたのだと思う。
ひるがえって考えるに、おたく文化の担い手たち側はそういう正のスパイラルが、世代間で働かなかったから、どんどん高齢化がすすみ先鋭化して行ったのではないか。
この構造が正しいとするとおたく文化の昨今の興隆には、ヤンキーたちにもジブリ、ワンピース、モンハンに代表されるおたく文化の一部が浸透してきている点と、ネットを介した新しい世代間交流の仕組みが存在している点は非常に重要であり注目に値するだろう。余談になるが、ぼくはこれらのことから今後の若い世代のオタクがリア充化することは歴史的な必然であり、避けられないと思っている。日本の文化のメインストーリムの担い手が若い世代の感覚をネットを通じて吸収しはじめているからだ。
マーケティングをやる人間にとってはいい時代だ。若い女の子と仲良くなって仕事のふりして「最近、何がはやっているの?」とか聞かなくてもネットを見ていれば若い世代の空気は調べられる。おそらくマーケティングやる人間のプロとしての寿命はネットによって伸びるだろう。
(7)人脈
人間はひとりでできることには限界がある。そして自分ひとりでできることなんて年齢とともに少なくなる。
およそ40歳を超えた人間の労働力としての価値はすでに習得した知識か、持っている人脈かの2種類ぐらいしかない。
そして若くして活躍する経営者とかクリエイターはじじいキラーと呼ばれりして、なんらかの後ろ盾が存在することがほとんどだ。
この人脈は傾向としては当然ながら年とともに強力になっていくものだが、減少する場合もある。
ひとつは人脈も自分とともに年をとっていくということだ。自分の仲がいいひとがあまり偉くなっても現場への影響力は逆に下がっていったりする。また、サラリーマンであれば定年があり、そうでなくても一丁あがりとラインを外れていったりする。老いた権力者も最終的に影響力を失っていくのは自分の人脈が引退したり死んでしまうからだ。
また、もうひとつの留意点としては、人脈とは相互扶助の仕組みだから自分自身が力を失うと自分の人脈も利用できなくなることが多いということだ。
(8)言語的な表現力
人前でしゃべる能力は、場数で決まるので、場数を踏んだ人生の経験者のほうが一般的に話は面白くなる。ただ、会話において当意即妙な答えを返すという能力は、反射神経的な速度を要求されるので、ぼくの感覚では40歳以降はだんだんと自分の話すのは得意でも相手の話を聞いて適切な答えをリアルタイムで返すという能力はどんどん失われていく。老人はだいたい会話の反応が遅くて、相手の話を聞かないという特徴を共通して持つ。ただ、仕事を現役でやっているひととそうでないひとで結構差がつくというのが印象でひょっとしたら、それは自然淘汰で問題ないひとが残っているだけなのかもしれないが、60歳、70歳でもほとんど問題ないひとは多い。しかし、それでも、だいたい80歳超えると実務的な会話はかなり難しくなるというのがぼくの印象だ。
だから、会話能力に問題がであると、いくら人脈があっても使えないから現役で仕事をするのは肉体的には80歳が限界かなと思っている。ひょっとするとネットがこの限界を超えさせるのであれば面白いと思っている。
(9)ギャグの面白さ
それが面白いかどうは別にして、ある単語をなんの関係もない別の意味の文章に結びつけるという典型的なおやじギャクの能力は30歳を過ぎると開花する。これを笑ってもらえるかどうかは人間の能力というよりは偉さで決まる。偉いひとの冗談は人間は本能的に面白く感じるという性質を持っている。おやじギャグを笑ってもらえないことを気にする人はギャグを磨くよりも偉くなったほうが早い。
(10)人格
ぼくが人生で出会ったさまざまなひとを観察した結論だが、人間の人格は環境で決定されるので年齢は関係ないというのが結論だ。
なんとなく物語的には老人というのは賢者であり人格者であり、みんなを導いてくれるものだが、実際は老人でも性格悪いひとは悪いし、人間が円くなるとかよくいうが、それは周りと散々衝突した結果のある意味敗北だったり、体力、気力の低下が主原因で、人格が人生経験により、素晴らしくなるというのは例外的なケースだと思う。むしろ年をとるといまの日本の社会だとひがみっぽくなったりして、より性格は悪くなるという傾向があるように思える。
(11)客観性
若さゆえのあやまちという。若いと自分を客観的に見ることができず感情のおもむくままに暴走してしまうことがよくある。これは年齢によってどうなるか。自分を客観的に見れるようになるのはだいたい30歳ぐらいからじゃないかというのがぼくの意見だ。
基本は30歳を過ぎてからも向上していく能力に見えるが、老人の独善性をどう考えればいいのかが、まだ、未熟な僕としては判断がつかないところだ。客観性はあるけど、そのうえで、わがままなのかもしれない。
(12)好奇心
好奇心が強いかどうかは性格に起因するようだが、好奇心の強いひとでも、どうも年を取るとだんだんと好奇心が弱くなって保守的になっていく。好奇心を維持し続けることは本当に大変なことのようだ。
好奇心を年をとっても維持しつづけているひとの特徴は自分が好奇心を持つと決めたもの以外の情報をシャットアウトしていることだ。
年をとっても好奇心が旺盛なひとは同時に飽きっぽいし、興味ないと判断するのも早い。
(13)創作意欲
いまのところ僕には創作意欲と年齢の関係はあまりないように思える。ただ、体力的な問題で集中力が衰えるので、ものづくりにかける根気のほうが足らなくなるという現象はあるかもしれない。それと本人がつくりたいものと時代とのマッチングの問題だろう。人間は年をとってもクリエイティブさは全然衰えないというのがぼくの見解だ。それよりも思うのは年齢を問わずに生活が満たされると、創作意欲はなくなるという現象をよく見聞きする。
(14)環境による能力の変化
最後に能力の個人差について思うことを書く。まず、最初の就職は重要だ。20代に覚えた仕事のやりかたは一生ついてまわり抜け出せないものらしい。とりあえず僕の場合にも自分の年齢まではまったくそのとおりだ。
。
そして仕事を覚える能力だけでなく意欲も20代は最高だ。最初の就職が重要なのは、そこで20代の間に意欲を失なうと、二度と同じような新鮮な気持ちで意欲をもてなくなることになる。若い時に純粋な意欲というものはかけがえがなく、かつ汚染されやすい。
そして経営者でも管理職でもいいが自分の判断で物事を動かせる仕事をすることが非常に重要だ。よく、経営者は孤独だ、とかいう言葉を聞くが、それはたしかに真実の一面ではあるかもしれないが、業界を見ていると経営者は70過ぎても元気で、サラリーマンは60近くになると急激に老け込んでいるのが現実だ。やっぱり孤独だかなんだかしらないが総合的には経営者はストレスフリーであり、健康で長生きする傾向にあるように思う。
経営者でなくても仕事が現役かどうかで人間の能力の低下具合は一変する。やっぱり一線で活躍することが大事なのだ。引退すると老ける。ハッピーリタイアなんて幻想を持っているひとは捨てましょう。
人間は最後の瞬間まで働いていて、そのまま斃れるのが幸せだ。老害上等だよね。むしろほとんどの老人が老害になれずに消えていくのが、いまの競争社会の姿だろうと思う。
実際にやっぱり大変なことだよ。年をとってもなお一線でいつづけるのは。
実録:弥生さんの話
友達の家の近くにある公園に柵ができていたのです。かなり大きな柵なので公園の向こう半分が完全に覆われていました。
「なんか工事中なの?」
ぼくは友達に聞いたのです。
「ああ、公園の中にある建物なにかしってる?」
「小屋みたいなの?」
公園の中央には物置みたいな木造の小屋があります。
「あれ、古代遺跡なんだって。高床式の建物らしい」
そうだったんだ。
「その割には新しくない?」
「もちろん、復元してるんだけどね」
「じゃあ、発掘作業かなんかの工事やってんの?」
「いや、工事はやってなくて立ち入り禁止にしてるだけなんだよね。人が住んじゃったの」
おかしな話です。
「人が住んだってどういうこと」
「遺跡にひとがすんじゃったの。あの高床式の建物に」
ぼくは笑いました。
「なにそれ、つまり、浮浪者かなんかが住みついたってこと?」
「浮浪者・・・まあ、そういうことになるかな」
友達は考え込んでつけくわえました。
「でも、オレはそのひとのことを弥生さんと呼んでいたんだよね」
「なに、弥生さんって」
ぼくは可笑しくてしかたがありません。
「弥生時代っぽいから弥生さん」
「仲良かったの?」
「いや、話したことはなくて、勝手にそう名付けていただけ。でも、あいさつはしてたよ」
「あいさつしてたんだ」
「弥生さんはねえ、結構、あの遺跡の役に立っていたんだよ」
友達は少しむきになって弥生さんのことを説明しはじめました。
弥生さんは、毎朝、6時ぐらいから起きて、公園のまわりのそうじをはじめるのだそうです。だから、公園はいつもゴミがありませんでした。近所づきあいも良くて、いつも元気に通りかかる人とあいさつを交わしていたそうです。だから、このあたりでも人気は高かったはずだと友達は主張するのです。自分の住まいにしていた高床式の小屋もそれはそれは丁寧に使っていたそうです。
「なのに、きっと心ないひとがいたんだよ。だれかが通報したんだと思う」
「まあ、そりゃ、勝手に公園に住んでいたら、いつかは通報されるよね」
「区役所は弥生さんを追い出すんじゃなくて雇うべきだったんだよ。役に立っていたんだもん」
柵は工事のためじゃなく、弥生さんを追い出して遺跡に入れなくするためだったのです。
「それで弥生さんはどうなったの?」
「追い出されて一週間ぐらいは公園の残った半分にあるベンチにずっと座っていたんだよね」
自分が住んでいた高床式の小屋を眺めながら、弥生さんは一日中ベンチに座っていたんだそうです。
「もう、いなくなったの?」
「ここ2,3週間は見ないよね。きっと、どっかにいっちゃったんだよ」
「諦めて別の場所を見つけたのか。それともどこかに連れて行かれたのか」
ぼくは少し悲しくなってためいきをついたのです。
「面倒をみてくれる施設とかにいれられたのかな」
「いや、浮浪者の面倒みてくれるような施設はないでしょ」
「そんなのないのかあ」
「ないだろうね」
ぼくたちは弥生さんの身を案じましたが、しょうがありません。どうしようもありません。
Facebookの日記に書きなよと、ぼくは友達に薦めました。もちろん、そんなことをしてもなんにもならないことは分かっていましたが、せめて弥生さんのことをネットの片隅にでも記録として残そうと思ったのです。
それから1ヶ月立ちました。
今日、公園を見ると、もう、柵はとりのぞかれていました。弥生さんが帰ってくることはもうないと区役所が判断したのでしょうか。
友達はまだ日記を書いていません。
しょうがないのでぼくがこのエントリを書くことにしたのです。
人の心を試してはいけないのはなぜか。
私を見て欲しい。だれに?
朝、寝ぼけながら考えた。というか、まだ、寝ぼけています。
たぶん、ぼくにしては短いブログになる。
なんでネットにメンヘラがいるのか。今朝もこの時間になっても寝れないメンヘラが自分を見て欲しいとつぶやいているのか。
まあ、だいたいメンヘラってそうだよね。自己承認要求がなんかこじらせているんだよね。
というか、クリエイターにそもそもメンヘラが多い。
なんでだろ。
人間が本能的に自己承認要求を持つのは群れをなす動物だからに違いない。だから、きっと、メンヘラは群れにいれてもらえない叫びを抱えていきているのだろう。
群れってこの場合なに?本人がはいりたい群れってどこにあるのか。
人間が孤独になるのは群れにいれてもらえないからか、自分が所属すべき群れがみつからないと感じているのかどちらだろう。どちらもあるだろうけど、どちらが先とかあるのだろうか。
なんとなく人間の心理状態の遷移を想像すると、順番的には
① 群れにいれてもらえない。
↓
② こいつらはそもそも仲間じゃない。ほかにぼくの本当の仲間がいるはずだ。
という順序のような気がする。
うーん。書いてて、やっぱりメンヘラって基本的には群れに所属したいっていう本能が満たされていない症状のような気がしてきた。
ネットというのがやばい。遠くはなれたところに自分につぶやきに反応してくれるひとがいて、そこに仲間がいるように感じる。でも、結局、身の回りにいるわけじゃない。ここが健康的じゃない部分だな。
クリエイターというのもそうだろう。基本、離れたところにファンがいる。そこが不安定の源になる。アーティストが自分のまわりをファンで固めたくなる心理もそこだろう。自分の群れをつくりたいのだと思う。
現代社会の群れはいりくんでいて、遠くにいて、あやふやな存在だから、きっと、みんなメンヘラになる。
だから、きっとメンヘラを治すには身近な仲間をつくることがいちばん精神衛生にはいいんだろう。でも、きっとクリエイターがそこを満たされたら、もう、作品なんてつくれなくなるよね。
・・・。
あんなたいしたこと書いてないな。
いいや。もっぺん、寝る。
来月復活するガールズケイリンがヤバすぎる件
さて、来月、48年ぶりにガールズケイリンが復活する。
3つの願いとピアピア動画Zero
ご注意:
この小説は「南極点のピアピア動画」をオリジナル作品とした二次創作です。本作品に登場する人物・団体はすべてオリジナル作品から着想を得たものであり、実在する名称と類似あるいは一致するものがあったとしてもまったくの偶然かつ無関係ですのでご了承ください。
「ほんとピアピア超会議は成功してよかったねー」
今月のピアンゴ最高経営茶話会で山上会長はご機嫌だった。
「だってさー、新バージョンZeroがあんだけ評判悪くてさー、超会議まで失敗してたら、ピアピア動画自体が世の中から見放されるところだったよ」
運営長が深くうなづいて同意した。
「まったくです。超会議とZeroのリリースをずらしたのは大正解でした。超会議中にZeroがリリースされていたら、超会議の興奮がZeroのショックで一挙に冷めるところでした」
「でも、ショックが当日に来るか、2日後に来るかの違いでしたけど」
広報の儚井美智子(はかないみちこ)が冷たく指摘した。
「いや、もし、超パーティーの最後のエンジニアが登壇して粉雪を熱唱するところで罵詈雑言を浴びせられてたと想像すると寒気がするよね。
とりあえず、あの場は感動的に切り抜けられて本当によかったよかった」
山上会長がニコニコしながら断言すると、まわりの社員が力なく笑ったが、儚井は不満そうで愛想笑いすらしやしない。
わずか66日間という短期間で制作したピアンゴ渾身の大イベントであるピアピア超会議は大成功し、マスメディアにも大きくとりあげられて、世間やさまざまな業界に大きな衝撃を与えた。ユーザも珍しく運営の超会議での仕事に批判の声はあまりでず、ひさびさにピアピア動画のユーザが一体感をもった歴史的な出来事になったにもかかわらず・・・。超会議と同時に発表し、プレミアム会員限定でリリースされたピアピア動画の最新バージョンZeroの評判は最悪だった。
「会長、Zeroにどうしてバージョンアップする必要があったんですか?ユーザはだれも喜んでいません」
儚井美智子が山上会長を睨みつけながら詰め寄る。
「ユーザはなにか変化すると必ず文句を言うもんなんだよ。たとえ以前よりも明らかに使いやすくなったとしても、慣れているユーザーインターフェースのほうが良いと感じるもんだ。ユーザの反応をいちいち気にしていてもしょうがない。問題はバージョンアップの中身だ。Zeroの出来がいいか悪いかが一番大事なことだ」
山上会長は冷静に儚井を諭そうとしたが効果はなかった。
「だから、そのZeroの出来が悪い、というのがユーザの結論だと思いますけど」
儚井のきつい目線に山上会長は思わず目をそらした。
「でもさー、ユーザもそんなに怒んなくてもいいのに。だから、今回、希望者のみバージョンアップできるようにしたんじゃん。そのまま原宿つかってくれてもなんの問題もないのにさー」
「このままいずれデフォルトがZeroに変更されちゃうと思って危機感をもっているんだと思います」
「あれだよね。やっぱ、新バージョンとかいっちゃったのがよくなかったよね。お試しバージョンとか、テスト公開とかいう名前にすればよかったんだよ」
「なんで無理矢理バージョンアップする必要があったのかわからない。ユーザが怒るのも無理はないです」
儚井は本当にZeroが嫌いらしい。
今回はピアピア動画はじまって最大のユーザインターフェースの変更をおこなった。生放送プレイヤーや新サービスNSENはそれほど不満がなく、むしろNSENは絶賛の声があがっていたが、いちばん肝心の基本となる動画プレイヤーのデザイン、レイアウトが根本から全部変わっていたので、従来のプレイヤーに慣れたヘビーユーザほどZeroのUIは使いにくく、大きな不満の声があがっていた。
「まあ、いつもバージョンアップは評判悪いけど、今回は本当に悪いね。ネットみたくないもん」
「そういえば・・・」
生放送担当の淫楽(みだら)が沈痛そうな表情で報告した。
「特に評判の悪い動画プレイヤー担当の志賀君は2ちゃんねるに批判スレまで立ってしまいました」
「まじで・・・」
山上会長が呻き声をあげる。他の社員がいっせいに志賀君のことを心配して、口々にかばいはじめた。
「志賀君はZeroプレイヤーできましたーとかつぶやくtwitterアカウントに本名のせているのが、俺には理解できないんだけどwいくらなんでも馬鹿すぎるだろと」
運営長が一刀両断する。
「ピアンゴ社員なのにネットで実名を出す怖さをわかってないw」
淫楽が笑う。
「もっと信じられないのは同じアカウントで家族の写真とか公開しているんですよ。それが2ちゃんねるにそのまま貼られて、完全に家族構成までばらされちゃっています」
「ネットリテラシー低すぎますよ」
「せめて会社のアカウントと個人のアカウント分けなきゃだめでしょ」
みんなが口々に志賀君のことを弁護した。
ピアンゴ社員の絆の強さに感動して口元をうるませながら山上会長はいった。
「一番評判悪い左側のピアピア市場のウィンドウと動画エリアにコメント入力欄のっけろというのは、俺の指示なんだよね。志賀君いやがっていたし。彼のせいじゃないんだけどなあ。あ、でもユーザがブログで批判した記事の中で、動画再生後メニューをなくして次の動画へのリンクを一番大きくしたのはピアピア動画の文化を破壊するという指摘はそのとおりだと思った。見終わった動画にコメントつけたりタグつけたりするのを最優先にすべきだよ。次々と動画を消費つづけるひとばっかりになったらピアピアの良さがなくなるもん」
「どんどん次の動画をみたいっていうのは志賀君の行動パターンなんですよ」
淫楽が解説をはじめた。
「志賀君ってHuluに加入しているんですけど、彼の映画の見方って変わっていて、リストの最初から順番にみていくらしいんですよ。タイトルの『あ行』のいちばん上から順番にみていく」
「まじで?ジャンル関係ないの?」
「いつも、お風呂に入りながら映画を一本見るという生活パターンらしいんですけど。どんな映画でもかまわないらしくて。体洗いながらとか適当に見てて、ああ、今日の映画はよかった。面白くなかったって思いながら風呂をあがるらしいです」
「なるほど、完全に映像を消耗品として消費する人間なんだ。じゃあ、ああいうインターフェースつくるのは納得だよね。彼の人生観が見事に再現されている」
山上会長が感心してうなった。
「まあ、いいや。ところで君だれだっけ?」
山上会長は部屋の隅のほうに黙って座っている社員のひとりに話しかけた。
「君、よく見かけるよね」
話しかけられた社員は苦笑しながら答える。
「はい、いつもこの会議には出席させていただいてます。こうして名前を尋ねられるのも5回目くらいです」
「5回目じゃ、まだまだだな。じゃあ、名前はいいや。君、いつもアクセスログ報告するひとだよね?Zeroリリース後のアクセスログのレポートかなんかないの?」
「はい、みなさんの机の上にすでに配布済みです」
「あ、これね。なるほど」
山上会長は目の前の資料を読み始めた。
「結局さ、ユーザのネットの表面上の反応よりもさ、大事なのはアクセスログだよ。リアルなユーザの反応はアクセスログを見れば分かる。・・・。ふーむ。・・・なるほど。これは面白い結果だよな」
山上会長が満面の笑みで喜びはじめた。
「やっぱり、今回のバージョンアップは成功じゃん。いままでバージョンアップすると必ずアクセスがそのあと下がって回復するまで3ヶ月ぐらいかかったけど、今回はPVもユニークユーザも減ってないね。むしろ増えている。はじめての大成功だ」
「それはバージョンアップが選択制だからだと思いますけど。みんな原宿をつかっているんじゃないですか?」
儚井美智子が冷水を浴びせようとする。
「いや、このログ見るとほんとそのとおりなんだよね。プレミアム会員170万人のうち、Zeroに変更したユーザが、なんと、まだ25万人。しかも、リリース3日目ぐらいからほとんど増えてない。でも、25万人のうち15万人が毎日使い続けているのもすごいよね。そして原宿をつかっているユニークユーザのほうは順調にZeroリリース後に伸びつづけていると。面白い。やっぱり、これ、たぶん、ユニークユーザが伸びているのはZero効果というよりも超会議効果だな。いや、ほんと面白い。興味深い結果だ」
面白がる山上会長にあわせて会議室のみんなも笑顔をつくるが、笑い声をあげているのは会長ひとりだけだった。
「まあ、結論はでたんじゃないの?少なくともZeroに簡単に選択できる原宿プレイヤーの互換バージョンを用意しないとだめでしょう。このまま強行するとぼくの読みだと最大1割ぐらいのユーザがニコニコを離れる。1割いなくなるというのは致命的な大事件だから、経営判断としては受け入れられない。ソフトランディングを模索しましょう。そしてプラス、ユーザ自身がユーザインターフェースをカスタムできるようにして、ほかのユーザがつくったインターフェースを選べるようなAPIを用意しよう。それで最終的な解決にする。それを結論にしましょう。」
山上が提案というか決定しようとしたら、CTOの万野が異を唱えた。
「だれか、第三者がつくったインターフェースを配布するサーバもピアンゴで用意するというならぼくは反対です」 「それは勝手に用意してもらえばいいじゃん。うちはAPIだけ処理するサーバを用意してさー。twitterクライアントをいろんなところがつくっているみたいになればいいんじゃないの?」
「そういうことであれば同意します。ただしAPIをさばくサーバ用意するのもかなり大変だと思いますが、そこはピアンゴで持つという判断を経営的にするのであれば受け入れます」
「ユーザが自分の好きな環境でサービスを受けられるというのは本質だと思うからそれでいきましょう。ただし・・・」
山上会長は宣言した。
「われわれはわれわれでベストだと思う次世代の動画インターフェースをつくる。それは続けていきましょう。いろいろ重要な問題はあるけど、Zeroの方向性は基本的には正しいとぼくは思っています。これまで現場からつぎはぎだらけの新プレイヤーの企画ばかりあがってきていたけど、これほどチャレンジングな新プレイヤーの企画は初めてでした。ぼくは志賀君なら最終的には素晴らしい動画プレイヤーをつくれると思っています。それに、どっちにしたって解像度と画面サイズを増やすのは必要。その場合に現行のレイアウトはもはや維持できないから変更せざるをえないんだよ。そして同時に動画プレイヤーのエンターテイメント性を高めていくという方針も正しい。これらの目標は堅持しましょう。ぼくらは今回は動画プレイヤーを改良してユーザのインタラクションをもっと増やそうと試みた。その試み自体は正しいけど、結果は逆になっている、その事実は受け止めて、もっと改良していきましょう」
というかんじで、ここでZeroについての話題は途切れ、また、超会議の話にもどった。
「しかし、超会議の評判はほんとよかったねー。一ヶ月以上たつけど、いまだに超会議関連のニュースとか報道がとぎれないのはすごい」
「超会議後の最初の一週間はワイドショーがつぎつぎと取り上げてくれて、その次の週はいいタイミングでピアンゴの赤字の発表があって盛り上がりました。その次の週は新聞。さらに次の週はカンブリア宮殿」
広報の円(えん)がコメントする。
「驚いたのはあのピアンゴの赤字の発表の話題で社内IRCがもりあがってみんながチャットしてたんですけど、だれひとりも会社のことを心配してなかったんですよ。むしろピアンゴはそういう会社なんだと、なんか誇りに思っているぐらいのひとばっかりで」
運営長がいうと、みんなが、そうそう、ほんとそうだった、と賛同の声をあげる。
「俺はそれはどうかと思ってんだけどさ・・・」
山上会長が苦々しげにコメントした。
「いやさ、そういうの平気だよ、って社外にスタンスを見せるのはいいと思うんだけど、みんな、なんか、本気で赤字なんてどうでもいいって思ってそうじゃん。やっぱり赤字は大変なことなんだよ。本当に赤字をへーきだとみんなが思ったら会社がつぶれる」
「まともなこといいますね。そのセリフ、秋野さんに聞かせてあげてください。喜びますよ」
儚井が助言する。
と、そのとき、・・・。
会議室の隅から大きな機械音がなりひびいた。
短い音。なんかどこかで聞いたことのある効果音だ。
あーやさんだった。
「なに、いまの音?」と山上会長。
「なんか、XBOX360でよく聞く音に似てますね」と運営長。
「あーやさんですか?今の音は」
部屋の隅の風景として、いつものように存在していた地球外生命体のつくったアンドロイドあーやさんは返事をした。
「おめでとうございます。・・・ございます。・・・・・ございます。・・・。みなさんの地球文明での活動が評価されて、新しい実績を獲得しました。・・・獲得しました。・・・獲得しました。・・・。」
部屋の隅に10体ほど固まっていたあーやさんはいっせいにしゃべりはじめた。
「すみません。しゃべるのはひとりだけにしてもらえませんか。実績を獲得・・・って、実績ってなんですか?」
山上会長は一番近くにいるあーやさんに話しかけた。
「みなさんの使っている言語では”実績”あるいは”トロフィー”という単語が一番意味が近いのですが・・・。」
あーやさんが解説をはじめた。
「みなさんの地球文明は、いま星間文明と一体化する進化の途中にあります。その途中にいくつかのきまった条件を満たすと”実績”がもらえるのです。今回、みなさんの超会議がきっかけとなって、新しい実績を与えることが星間文明より認められました」
「それはすごい!超会議は人類の進化の重要なステップとなる大イベントだったのか」
山上会長は興奮して叫んだが、あーやさんは冷たく否定した。
「ちがいます。メインクエストとは関係ないので、この実績を獲得しなくても星間文明への進化はできます。むしろ、やりこみ要素に近いので、ほとんどの文明はこの実績の獲得は目指さないで無視します。非常にもらえるのは珍しいタイプの実績です」
「褒められているのか、けなされているのか、わからなくなってきたけど、その実績をもらえるとなにかいいことがあるんですか?」
「はい、特別ボーナスとして、みなさんの願いを3つだけ叶えることが可能です」
「え?」「え?」「え?」「・・・」
事務的に即答したあーやさんの言葉に会議室の一同は一瞬固まって反応できなかった。
「願いを3つだけ叶えることが可能?」 山上会長があーやさんの言葉を反復した。
「はい、ピアンゴが人類を代表して願いごとを決めてください」
「どんな願いでもいいんですか?」
「はい、物理的に可能な願いならなんでもかまいません」
「まじで?すげー。じゃあ、ピアンゴの株価をあげて、時価総額を10兆円ぐらいにしてよ」
信じてないのか、山上会長が適当なことをいう。
「はい、可能です」
「え、まじで?」
ちょっと山上会長の顔が真剣になった。
「会長、人類を代表する願いがそんなことでいいんですか?もう少し考えましょうよ」
儚井が文句をいった。
「いや、だってさ、ピアンゴの時価総額がFacebookを超えたら面白くない?」
山上会長が口をとがらす。
あーやさんが尋ねた。
「確認しますが、願い事はピアンゴの時価総額を10兆円にすることですか?Facebookの時価総額よりも大きくすることですか?どちらですか?」
山上会長はあーやさんの質問にどきっとして黙り込んだ。ピアンゴの時価総額を10兆円にすることとFacebookの時価総額を超えるというのはどうやら違う願いごとらしい。そう、もちろん違うっていったら違う。しかし、厳密にはどう違うのだろう。
そのとき部屋にいた量産型こいづかくんの一体が口をはさんだ。
「物理的に可能な願いという定義をちゃんとはっきりさせたほうがいいんじゃないかな」
みんながいっせいにこいづかくんを見たが、彼はそれっきり口をつぐんで黙り込んだ。
山上会長があーやさんに尋ねる。
「あーやさん。どうやってピアンゴの時価総額を10兆円にするのか、具体的なプロセスを教えてもらってもいいですか?」
異星からきた女性型アンドロイドは尋ねた。
「それはひとつめの願いですか?」
「ええ、ひとつめの願いでいいです。ぼくらにわかりやすい形で教えてください。あ、できればもっと詳しく願いをかなえるやりかたを知りたいので、ピアンゴの時価総額を10兆円にすることをサンプルにして、どういう願いならかなえられるか、どうやってかなえるかを解説してほしいのですが」
「わかりました」
意外にもあーやさんは結構、親切に解説をしてくれた。普通ならこういう願いを叶えてくれるのは悪魔で、なにか、ひどいしっぺ返しが待っているものだが、あーやさんはマジ天使、だった。箇条書きでまとめると願いごとのルールは以下のようになる。
・ 願いごとは本当に望んでいることでないといけない。
・ 願いごとは基本的には地球の公転周期の間、つまり1年間の間に遷移可能な物理的経路が存在するものに限られる。
・ ただし、星間文明が物理的状態を操作できる自由度はかなり高くて事実上、地球上にあるすべての物体の状態を変更することも可能なので、その限りにおいては、ほとんど全ての願いごとはかなうといっていい。
・ むしろ困難は正確に願いごとを言語で表現することにある。とくに、願いごとに人間がつくった社会制度のような概念がはいっている場合は、人間がその概念にこめている定義自体が制約事項となるので、願いごと自体に矛盾が生じやすい。
・ 願いごとに矛盾がある場合には願いごとは無効とされるが、カウントは消費されるので1回分無駄になる。
・ 願いごとをかなえる方法が複数ある場合は、基本的にはより短期間で簡単に実現できる方法が採用される。
ちなみにピアンゴの株価を10兆円にする場合には、まず、日本国債をデフォルトさせて財政破綻させてハイパーインフレを起こすそうだ。
「いや、あぶなかったね。願いごとの副作用で日本経済を破滅させるところだった。こんなんじゃ、ピアンゴの時価総額をFacebookよりも高くするなんて願っていたら、米国が壊滅したかもしれなかったね」
「まったくです。会長のナイス判断です。最初にルールを確認するのが大正解でした」 「なんか、危険度の小さい軽めの単純な願いごとにしよう。下手したら人類滅ぶよ。ピアンゴのプレミアム会員は全てZeroにバージョンアップするとかはどうかな?」
「それはどうでしょう。Zeroにバージョンアップしないプレミアム会員の存在を抹消する。たとえば、生命活動を停止する、とかになったりしませんかね?」
「それは困るなあ、ほとんどプレミアム会員がいなくなる」
山上会長は考え込んだ。
「あーやさん、じゃあ、こうしよう。Zeroの中身が素晴らしくなって、ユーザが自発的な意志により、けっしていまこの瞬間の現在いるプレミアム会員はひとりも減らないでみんなZeroを使うようになる。そういう願いごとを叶えてください」
「はい、わかりました。完了しました」
「え、もう、完了したの?どういうこと?」
山上会長はみんなにネットを見てどうなっているかを確認するように指示した。 「あーなるほど」 運営長がすぐに大声をあげた。
「原宿のロゴがZeroに変わっている!」
儚井も報告をする。
「あ、ニコニコニュースでリリースもでていますね。ひろゆきの名前でユーザへの謝罪と名前だけバージョンアップすることにしましたとか書いています」
「twitterでも、これぞ待ち望んだZeroだと絶賛のツイートがものすごい数です」
山上会長は頭をかかえた。
「なんだそりゃ。んーー。2つめの願いごとも、むだに使ってしまったじゃないか。もう、これで残った願いごとはひとつだけじゃん」
「なんか、昔話の3つの願いみたいになってきてますね。きっと3つめの願いごとも失敗する流れですよ」
淫楽がいう。
「まあ、そのほうが平和でいいのかもなー」
山上はつぶやいた。
円が口をはさむ。
「なんか、もう、世界が平和になりますように。とか、そんな抽象的で人類のためになる願いごとにしたほうがよくないですか?」
即座に山上は否定した。
「いや、それ、一番危険な願いじゃないかな。核戦争が起きて人類が滅んで平和になるとかじゃないの?」
「じゃあ、これからの一年間の世界が戦争も疫病も恐慌もおきずに平和でありますように。とかじゃだめですかね」
山上は考え込んでいった。
「まあ、たしかに美しい願いごとなんだけど、この願いごとは超会議がきっかけとなってもらったものだから、ピアピア動画のユーザに還元するのが筋じゃないかなと思う」 そう会議室にいる社員全員の顔を見回す。
精一杯の心をこめてゆっくりと山上は話をつづけた。
「全てのピア厨がこれからの1年間、しあわせに過ごせますように。副作用が怖いから付け加えるけど、もちろん、1年間の間に悲しいことがおこったり死んじゃうひともいるでしょう。でも、トータルとしては幸せだと感じている時間のほうが長い、そんな一年でありますように、というのどうかな」
山上会長のどや笑顔に、会議室のみんなはそろそろ会議も4時間ぐらいつづいていて、いいかげん家に帰りたいと思っていたので、ここら辺を落としどころにしとくかというかんじで賛同の意を示す。
「いま、いいことをいったつもりでいます?」
儚井は違った。
「願いごとの条件を覚えています?本当に心から望んでいないとだめなんですよ。会長は本当にすべてのユーザに幸せになってほしいと思っていますか?」
「え?」
山上会長はちょっとたじろいだ様子をみせた。
「え?んー、どうだろ。いや、たぶん・・・、思っているかな。もちろん・・・」
「もっとはっきり断言してください」
「いや、大丈夫。ほんと、すべてのユーザに幸せになってほしいとは思っているもん」
「全員ですか?ちょっと想像してみてください。アンチ運営のユーザとか荒らしユーザもいますけど」
「いや、好きか嫌いかでいうと嫌いなユーザはもちろんいるけど、幸せになってほしくないとは思わないな」
「本当ですか?抽象的なイメージでいっていませんか?具体的なユーザを思い浮かべても大丈夫ですか?」 「大丈夫じゃないかなあ」 いくぶん自信なさそうに山上はいった。
「ちょっとまって、具体的にユーザのパターンをいろいろ想像して本当に幸せになってほしいと思えるか、ちゃんと頭の中でシミュレーションしてみる。10分ほど時間くれないかな」
10分間。山上は考え込んだ。その間、全員が山上の考えを妨げないように、だれもひとことも発しなかった。願いごとで地球が滅ぶかもしれないのだ。
きっかり10分後、山上は口を開いた。
「いろいろ考えたんだけどさ、全員の幸せを願うことは可能だと思う。本気でぼくはそう思える。でも、ピアピアユーザだけじゃなく、やっぱり円くんのさっきの意見を採用しようと思う。世界人類の幸福を願うことにする。自分たちだけじゃなくみんなが幸せになってほしいというのは、ピアピアユーザの願いでもあるとぼくは思うんだよね」
もはや、だれもひとことも反対意見を発せず、山上のつぎのことばを待った。みんな早く帰りたいのだ。
「でも1年間幸せというのはちょっとやっぱり予想しない副作用がありそうで怖いから1分間にする。いまから全ての人類が1分間幸せな気持ちになって、ほかのひとのことも幸せになってほしいと願う、そういう心の状態になるようにしてくれないかな。あーやさん」
星間文明から送り込まれてきた女神は珍しく少し間をおいてから返事をした。
「わかりました。いまから開始します」
目に見えないパワーが地球全体を覆った。願いごとをかなえるために地球の衛星軌道に集まっていたあーやさんの仲間たちだった。でも、彼らの存在にはどの天文台や人工衛星も気づかなかった。
地球上のすべてのひとの脳の神経がすこしいじられた。シナプスがすこし増えたり、いくつかの場所の電位が変更された。
日本中のひとたち、米国、中国、ロシア、ヨーロッパ、中東、アフリカ、アマゾンの奥地に住んでいる部族や、南極の基地にいるひとまでふくめて、世界中の人々がひとしく幸せな気持ちでつつまれた。
素晴らしい星間文明の科学力だったが、正直いって、たいしたことが起こったわけではない。
山上以下、会議室にいた全員は、突然、自分が幸せであることに気づいて、お互いを見つめ合った。
高速道路ではノルマが足らない交通警官がなぜか普段なら捕まえる微細な交通違反を見逃していた。
ある雀荘では男が上家が捨てたアタリ牌をしばらく見つめていた。上家はずいぶんと今日負けが混んでいた。数秒後、男はクビをふりながら、自分の牌をつもった。
国会議事堂の中にそのときいた人間型の生命体の多くは、なんて馬鹿らしい争いをしているんだろうと、そのときは思った。しかし、なにかが起こるには1分間では足らなすぎた。
ロスの夜中のパーティーで支持者相手に演説をしていた米国大統領は突然に自分の胸の奥からわき起こってきた幸せの感情に驚いた。かってない聴衆との一体感に自然と涙がこぼれてきた。今日は人生で最高の演説になりそうだ、そう彼は思った。
ローマでは早朝のミサが行われていた。祈りをささげる聖職者たちの間で、”それ”がはじまる瞬間、小さなどよめきがおこった。彼らは奇跡にきづいたのだ。
香港では強盗が老婆の指輪を奪おうとしていた。いつもならナイフで指ごと切り落して指輪をもっていくが、なぜか、そのとき彼はできるだけ優しく指輪を彼女の指から抜き取った。老婆は抵抗しなかった。
中東ではある兵士が、いま、まさに敵国の市民を撃ち殺そうとしていた。まだ相手は少年だったが、ゲリラだった。いや、本当にゲリラなのかは、よくわからなかったのだが、そんなことは問題ではない。 兵士がまさに銃を構えたときに相手の少年と目が合った。そのとき、突然、この子に幸せになってほしいという強烈な感情に襲われた。自分はいったいなにをしようとしているんだろう?こんなに幸せなのに。こんなにみんなに幸せになってほしいのに?
やがて、不思議な1分間は終わった。いまの自分の感情はなんだったんだろうと、そう、いぶかしがりながら、兵士はふたたび少年を見つめ銃の引き金に指をかけた。
世界中が幸せと平和への祈りにつつまれた。その奇跡はたった一分間しかなくて、なにかが変わるにはとても短すぎて、すぐになにもなかったように消えてしまうような奇跡だった。
でも、確かにそのとき世界はひとつになって幸せにつつまれたのだ。 地球のあちことでひとびとがニコニコしながらみんなとつながっていた。
つながったのは目の前にいたひとだけじゃなかった。いつもは憎しみあっているネットを隔てた向こうのひと同士も幸せで優しい気持ちになってつながっていた。
ネットなんかなくたって人々はつながっていた。もう大人になった子供たちは、遠く離れて暮らしている両親のことを思った。親たちも子供たちを思って幸せにつつまれた。恋人たちや、もう終わった恋人たちでさえ相手のことを思って幸せな気持ちにつつまれた。いや、恋人とか友達とかも関係なかった。この世のすべての人が、みんな友達で恋人でもあって大切なひとたちだった。
やがて束の間が過ぎ去り、地球を覆った見えない力の場は地球人にはまったく気づかれないまま消えていった。
なにごともなかったかのように世界は元通りの日常を再開させたのだった。
(了)
ちなみに元ネタの野尻さんの本はこちら
今回の二次創作の前作はこちら