私を見て欲しい。だれに?

朝、寝ぼけながら考えた。というか、まだ、寝ぼけています。

 

たぶん、ぼくにしては短いブログになる。

 

なんでネットにメンヘラがいるのか。今朝もこの時間になっても寝れないメンヘラが自分を見て欲しいとつぶやいているのか。

 

まあ、だいたいメンヘラってそうだよね。自己承認要求がなんかこじらせているんだよね。

 

というか、クリエイターにそもそもメンヘラが多い。

 

なんでだろ。

 

人間が本能的に自己承認要求を持つのは群れをなす動物だからに違いない。だから、きっと、メンヘラは群れにいれてもらえない叫びを抱えていきているのだろう。

 

群れってこの場合なに?本人がはいりたい群れってどこにあるのか。

 

人間が孤独になるのは群れにいれてもらえないからか、自分が所属すべき群れがみつからないと感じているのかどちらだろう。どちらもあるだろうけど、どちらが先とかあるのだろうか。

 

なんとなく人間の心理状態の遷移を想像すると、順番的には

 

① 群れにいれてもらえない。

 ↓

② こいつらはそもそも仲間じゃない。ほかにぼくの本当の仲間がいるはずだ。

 

という順序のような気がする。

 

うーん。書いてて、やっぱりメンヘラって基本的には群れに所属したいっていう本能が満たされていない症状のような気がしてきた。

 

ネットというのがやばい。遠くはなれたところに自分につぶやきに反応してくれるひとがいて、そこに仲間がいるように感じる。でも、結局、身の回りにいるわけじゃない。ここが健康的じゃない部分だな。

 

クリエイターというのもそうだろう。基本、離れたところにファンがいる。そこが不安定の源になる。アーティストが自分のまわりをファンで固めたくなる心理もそこだろう。自分の群れをつくりたいのだと思う。

 

現代社会の群れはいりくんでいて、遠くにいて、あやふやな存在だから、きっと、みんなメンヘラになる。

 

だから、きっとメンヘラを治すには身近な仲間をつくることがいちばん精神衛生にはいいんだろう。でも、きっとクリエイターがそこを満たされたら、もう、作品なんてつくれなくなるよね。

 

・・・。

 

あんなたいしたこと書いてないな。

 

いいや。もっぺん、寝る。