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ネットのプライバシーなんて本当に守れるのだろうか?

ネットでプライバシー侵害とセキュリティについての議論であれば、高木浩光氏のブログが素晴らしい。氏の議論は技術的な解説だけでなく法律的な側面からもいろいろな実例を紹介しており、まあ、総論としては、とても素晴らしいとしかいいようがない。氏の指摘により、ネットサービス側も、先日のはてなブックマークのように仕様変更をせざるを得なくなったケースも多くみられてネット社会に貢献しているサイトである。

 

少なくとも国内のネットサービス事業者においては氏の活躍により、プライバシー侵害についての意識が高まったことは間違いなく、今後も大いに活躍してもらいたいと思うのだが、やはり世の中の流れの全体としては、ネットのプライバシーなんて事実上なくなっていく可能性が高いなと、この前、Facebookを触っていて思った。

 

一昨年になるか、ぼくがFacebookのアカウントを取り直したときに気づいたことがある。自分の本名を入力した段階で、推薦される友達かもしれないリストの精度が異常に高いのだ。

 

なんでこんなに正確に予測できるのだと驚いた。まわりのFacebookユーザーにきいてみたら幾人かが電話帳とかtwitterのフォローしている人のデータを引っ張ってきているのですよとか訳知り顔に教えてくれた。そうなのかなとも思ったが、アカウントをとったのはPCだから、電話帳のデータというのはまずない。twitterアカウントのひもづけというのも表示されている人間にはtwitterをやっていない人間もはいっていたりして説明がつかない。いろいろ他の人にも聞いてみると、10年以上前、高校時代につきあっていて、まったく連絡をとっていない彼女の名前とかが表示されたひともいるという。

 

どういうロジックで表示しているのか、まわりのエンジニア数人と議論して、ありえる可能性についていくつか検討した結果、おそらくはこれだろうという推測がひとつ見つかった。

 

おそらくFacebookは友達検索を利用したユーザを逆引きして相手の友達候補として使用している。つまり、表示されているのはあなたの名前を過去にFacebookで検索したユーザであるということだ。このロジックであれば、自分の本名を登録しただけの状態でも友達候補を表示することが可能だ。そしてFacebookはおそらく複数のロジックで友達候補を表示しているのだと思うが、アカウントをとったばっかりのときにはこの方法しか使えないのだと思う。

 

このことは考えてみるとちょっと恐ろしい。逆に考えると、Facebookで自分の友達を探して名前をうっかり検索すると、自動的に相手の友達候補に表示されてしまうということだ。好きなひとの名前とかを検索するネットストーカー行為みたいなのも暴露されてしまうじゃないか。

 

さて、このことを実現するシステムを想像すると、Facebookはユーザの行動履歴をユーザーごとにログとして蓄積するだけでなく、特定の行動をおこなったひとのユーザIDの一覧をほぼリアルタイムで抽出できるデータベースを構築しているということが分かる。あたりまえのはなしである。データはもっているのだ。当然、そういうこともやるだろう。

 

ユーザのこうした行動履歴を管理しているだろうネットサービスはFacebookクラスのもので考えても、Googleapple、amazon、Microsoftと4つぐらいはあげられる。そうした会社はすべて現時点で相当な量のユーザの行動履歴を利用することが可能だということにあらためて気づかされる。セキュリティもくそもなく、すでにわれわれはプライベートな行動履歴をネットサービスをやっている事業者に握られていて、それをおそらくは気づかないうちにいろいろと利用されているのだ。

 

そう、考えると、最近の話題であるappleがUDIDの利用制限をアプリベンダーに対しておこなうなんていう発表を、アップルの英断だと喝采するのはずいぶんと脳天気だといわざるをえない。すでにプラットホームホルダーは個人情報を握っていて、それを自社のためになら利用できる状態にある。サードパーティへの提供をユーザの支持のもとに拒否できるのであれば、むしろ有利な立場でプラットホームホルダーが競争できるということになってラッキー、ぐらいにappleという会社の性格を考えると判断しそうだ。(アンチappleに思われるかもしれないのでいっとくと僕は年間100万円以上はアップル製品を購入しているヘビーユーザーだ)。

 

もちろんapple自身が個人情報を使ったサービスを発表したときにやはり非難される可能性はあるのだが、appleの場合はサービスがCoolだったり便利に見えたら、むしろ賞賛される展開になる。サードパーティの場合はLINEのようにたとえ便利であっても非難される、そういう展開になるのではないか。

 

まあ、しかし、ありそうな落としどころは現在のFacebookがやっているように、ユーザの承諾のもとに個人情報の提供をサードパーティに対してもおこなうことだ。いま、Facebookをつかうと1分に1回ぐらいはなんらかのサービスへ個人情報の提供の承諾を迫るウィンドウが開く。これは絶対にユーザが慣れる。聞いてみるとやはり反射的に無条件に承諾してしまう習性を身につけてしまったユーザが過半数をこえてそうだ。

 

あとは承諾する項目が増えて、承諾内容の説明文のところにスクロールバーがついたら、もう終わりだ。使用許諾契約のようにだれも読みやしないウィンドウになるのは目に見えている。

 

考えてみればプライバシーを守る権利とかが騒がれるようになったのはここ10年、20年の話だろう。昔の社会はそんなことは問題にならなかった。結局、人類の歴史のなかでは、プライバシーを守ろうという時代はネットが出現する過渡期におこった出来事で、結局は短期間で終わるんじゃないか。自分の個人情報が他所で管理されることに慣れ、疑問をもたない時代がくるんじゃないか、そういうことを、ここんところ、考えている。