山本一郎という問題。ついでにピクシブの件。

ここ数年、だれもネットには書き込まないが、ネット関係者が集まるとよく話題になるテーマがある。「山本一郎をどう思うか?」

 

ぼくは山本一郎(敬称略)こそ、ネット社会が抱える根本的な問題を象徴する存在だと思っていて、いろんなひとに、山本一郎という現象は重要だ。研究テーマにすべきだと主張しているのだが、同意するひとは多くても、だれも怖がって手を出したがらない。

 

でも、山本一郎について語らないで、現代のネットでなにを語るんだと、ぼくなんかは思うわけだ。

 

なぜ、山本一郎が重要なのか。それを議論するまえに、現在のネットの状況を整理しよう。

 

この10年間でネットが社会に与える影響はとても大きくなった。テレビの話題はネット発のものが多くなった。ネットで有名になった人がテレビにレギュラー出演するようになり、逆にテレビの有名人がネットメディアに登場するようになった。

 

にも関わらず、有名人や専門家や社会的な立場を持つひとがネットで情報を発信することがどんどん少なくなっているという現状がある。

 

理由は単純でネットで情報を発信するデメリットが多くなりすぎたからだ。炎上リスクだ。

 

これは次のような構造上の問題をはらんでいる。

 

・ ネットで注目を集めやすいひとは不用意な発言をおこなうと、非常に大量の人間の目にさらされて、批判の対象になるリスクがある。

・ ネットでは。目立った存在にはケチをつけようとする人間が一定割合で存在しており、ネットでの存在感が増せば増すほど、なにか足を引っ張ってやろうと機会を窺う人間の数が成長していく。

 

ネットで共有されている、いくつもの暗黙の”お約束事”がある。「ある特定層をバカにする発言は叩いていい」、「いじめを肯定したり、弱者を見下す発言は叩いていい」、「オタク文化への無理解は叩いていい」、「傲慢に見える発言は叩いていい」、「不当な利益を得ているように見える場合は叩いていい」、・・・。いわゆる正論の数々だが、正論だというだけでは条件を満たさない。この話題になったら、必ず自分は反対の立場をとる。叩く側にまわると決めている層が一定数いるテーマというのがネットにはいくつも存在する。

 

ネットで炎上をおこそうとするひとたちは、ターゲットとした人間が、いってはいけない”お約束事”のどれかに該当する発言をしないかと、監視することになる。

 

この場合の炎上リスクは以下の式になるだろう

 

「ターゲットとされた人間のネットでの発言量」X「アンチの人数」

 

つまり発言する量が長くなればなるほど数が多くなれば、危険は増す。また、ネットで目立つほどアンチの数が増えるので危険が増す。

 

こういうことと書くと、「問題となる発言をしなければいい」、と主張するひとが必ず現れる。しかし、この主張はフェアではない。お約束事はたくさんあるのですべてをクリアする文章を書くのは大変だ。また、長い文章に対しては、一部分だけを切り出して、批判することが可能だ。文章全体の中の文脈では問題がなくても、部分的に切り出すと批判可能な文章もある。

 

また、批判しやすいように元の文章の一部を改変したり、”要約”したりすることもよく行われる。これらすべてを防ぐのは、とくに悪意のあるアンチが一定数以上いる場合は、ほぼ不可能だ。

 

かくして常識あるひとたちはネットではできるだけあたりさわりのない発言しかしないようになり、SNSに引っ込んで食事の画像とかをアップすることになる。

 

しだいにみんないなくなった。みんな黙り込んだ。ネットから有用な情報が消えていった。

そして残ったのが「山本一郎」だ。

 

この過酷なネット空間においても影響力を持って情報の発信をつづけられる唯一の存在になったのが彼だ。

 

山本一郎」とはなんなのか、彼を研究しないでどうする。いまのネットで最も議論するべきだし、議論する価値のある対象だと、ぼくは何年も前から、まわりに主張してきた。

 

なぜ、山本一郎は残ったのか、彼がネットで発言する手法は実に興味深い。

 

まず、彼の書く文章は分かりにくい。というより、よく読めばよむほど、意味が通らないし、なにを言いたいのか、さっぱり分からない文章になっている。これは彼が文章が下手なわけではなくて、確信犯的にそう書いている。

 

こういう書き方には、なにを書いてあるかよく分からないので批判されにくい、という大きなメリットがある。でも、よく分からない文章を書いて、意味があるのか、と思われるかもしれないが、実は十分な意味がある。なぜなら、ネットの多くのひとはタイトルしかみない。文章をちゃんと読まない。キーワードと雰囲気だけで判断をするという現実があるからだ。

 

現在のネットでの印象操作をおこなう情報発信として、山本一郎氏の手法は最適解のひとつの可能性が高い。

 

山本一郎氏がネットでの議論に強い理由として、彼がもはや有名人なのにも関わらず「無敵の人」でありつづけていることがある。

 

「無敵の人」とは2ちゃんねるの創設者の西村博之氏の命名だが、ネットにおいて炎上をおこる理由のひとつとして、彼らの存在があるという。ようするに失うものがないひとは、嘘をつこうが、罵声を浴びせようが、自分が同じことをされても平気なので、一方的に他人を攻撃できるということだ。ネットには大量にそういうひとたちがいるという。

 

ぼくが以前、ネットで議論ができないひととして、「ゾンビ型論客」、「スケルトン型論客」、「スライム型論客」という3つのパターンを書いたことがある。

 

ゾンビ型論客とは、論点をいくら切っても痛みを感じないひと。スケルトン型論客とは、切ったはずの論点が時間がたつと復活するひと。スライム型論客とは、切ると論点が分裂するひと。

 

彼らは議論する相手としては非常に手強い。

 

つまりネットにおいての議論は、相手からの攻撃に対する鈍感さというのが非常な武器になる。一般の知識人がそういう態度を身につけるのはなかなか難しいものがあるが、それをやってのけたのが山本一郎氏ということになる。

 

山本一郎氏は決して特殊な例外ではなく、いまのネットへの最適な適応だという証拠に、山本一郎氏の周辺にやはり似たようなタイプの論客が集まりつつあることを指摘したい。具体的には高木浩光氏、楠正憲氏、木曽崇氏などだ。彼らもまた打たれ強さと面倒くささを武器にネットで自由に批判をおこなえる立場を確保している。

 

さて、そんな無敵の山本一郎氏が一昨年の年末に珍しく大炎上したことがある。きっかけとなったのは、ぼくがはてなブックマークのコメントに書き込んだ「総会屋2.0」というひとことだ。この見事な命名は、残念ながらぼくではなく、他にいるのだが、山本一郎氏のターゲットになるのが怖くて名乗り出てくれない。

 

このワードはネットで山本一郎氏に違和感を覚えていた多くのひとの心に見事に刺さったようで、これをきっかけに彼への批判が燃え上がり、珍しく、彼が炎上の対象として釈明におわれることになった。

 

彼は攻撃のターゲットにするのは、批判をおこなうとネットで話題を集めそうな相手である。ネットで話題になる炎上事件には必ずなんらかのコメントをしたがるという習性がある。

 

ところが、そんな彼が話題になりそうなのに攻撃の対象にしない、あるいはいつのころからか攻撃の対象にしなくなった相手がある。例えば、楽天であり、ソフトバンクであり、サイバーエージェントなどだ。正確な理由は分からないが、彼が攻撃のターゲットにする相手をなんらかの基準で取捨選択しているのは明らかだ。

 

ただ、このことで彼を非難するのは。フェアではない。そもそも広告をとっているメディア(大半がそうだ)が広告主に一定の配慮をするのは常識だからだ。彼が自分と関わりのある相手とそうでない相手とで、扱いを変えるのも人間としては当然だ。また彼に対して批判すべき対象はすべて批判しろというのも無茶な話だろう。

 

彼が攻撃をしないだけでなく、擁護まで買って出る会社がひとつだけある。DMMだ。

はちま寄稿を買収したと批判されたときに山本一郎氏がDMM亀山会長へ行ったインタビュー記事は露骨なちょうちん記事で、ネットに衝撃を与えた。

 

はてなブックマーク - はちま起稿買収問題、DMM.com亀山敬司会長が経緯を語る(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

また、最近では、漫画村に出稿したことでDMMが批判を受けた際にもDMM片桐社長に連絡をして、現場が知らないうちにやっていたのですぐに止めたというDMM側の弁解をそのまま代弁するような火消し活動をおこなった。

 

DMM山本一郎氏との関係はかなり親密なようで、4月22日開催された「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する緊急提言シンポジウム」で山本一郎氏がプレゼンをおこなった際にも漫画村DMMが昨年11月に1ヶ月間で350万円を広告出稿していたと得意げに披露していた。これはDMMから直接聞かないと分からないはずだ。(ちなみにぼくの指摘に対して、山本一郎氏は広告単価と出稿頻度から推定しただけだと弁明しているが、出稿頻度を正確に測定するのはそれなりに大変であり、彼が個人で調査チームを持っているとは想像しにくい)

(参考記事)

 

さて、ちょうどこんな記事を書いているときに山本一郎氏が興味深い記事を投稿した。

 

pixiv』という聖域で、代表・永田寛哲氏が仕掛けた人事と混乱

 

この記事はピクシブの現経営陣を告発する怪文書的な記事だ。

 

山本一郎氏が本来書きたかっただろう現経営陣への批判を省くと、この記事から読み取れる事実はこうだ。

 

・ 現在のピクシブの株式の70%はアニメイトが所有している。(創業者の片桐氏はアニメイトに売却していた?)

・ アニメイトと旧経営陣は対立していて、創業者の片桐氏(現DMM社長)はピクシブの買い戻しを交渉したが、アニメイト側に拒否された。

・ ピクシブの現社長である永田氏は、現オーナーのアニメイト側についていて、片桐社長など旧経営陣側は、彼のことを裏切り者だと思っている。

・ ピクシブの現経営陣に対する告発記事が、DMMと関係の深い山本一郎氏によって書かれる。イマココ。

 

だいたいこういう告発記事は情報提供者がいないと書けないもので、この記事の内容から判断すると、DMM片桐社長サイドからの情報に基づいて書いていると判断するのがふつうだろう。

これはかなりとんでもない話で、DMMの片桐社長がいったん売却したピクシブを取り戻そうとして失敗し、その後に山本一郎氏を使って、怪文書を書かせたという構図に見える。

現経営陣を糾弾し、pixivのことを本当に分かっていないと批判は、逆にいうとpixivの株の売却を求めた旧経営陣こそ、pixivを経営するにふさわしいという主張だろう。

 

これは言い換えるとDMMによるピクシブの乗っ取り工作ではないか。

 

DMMの亀山会長はネットにはあまり詳しくない。ネットに関する戦略立案を期待されて招聘されたのが片桐社長ということだろう。片桐社長のネット戦略とは山本一郎氏を連れてきて、提灯記事を書かせて火消しをしたり、買収に応じない会社へは怪文書を書かせることだったというのはにわかに信じがたいが、実際におこっている現実はそうとしか解釈ができない。

 

片桐社長は一連の山本一郎氏との関係について説明の必要があるのではないか。

 

 

さて、いま、現在、山本一郎氏の攻撃対象としてぼくが選ばれているようだ。たぶん、しつこく、いろいろと絡んでくるつもりだろう。

 

なお、山本一郎氏本人の弁によると、氏は、ブロッキングや情報公開に関するぼくの意見に多くは賛同、または理解しており、ぼくのことを悪いひとではない、いいひとだと思っているそうだ。

そして、ただ、一方的にぼくが氏を嫌っているのだと主張している。

 

山本一郎氏の正当な批判にはもちろん回答していくつもりだが、泥沼の議論に突入する前に、山本一郎氏に対して、ぼくが実際はどう思っているかについてを今回、書いた。山本一郎氏については単純に嫌っているということではなく、いまのネットが侵されている病理のまさに中心部だと思っている。

 

ただ、現実問題としていまのネットで情報発信をする場合に山本一郎氏のやりかたは有効だし、今後も影響力を持つだろう数少ない方法論のひとつだろうという現実もある。

 

願わくば、氏の持つ特別な立場と能力でしかできないことの中に、世の中のためになるようなことも半分ぐらいでも、いれてもらえれば、と思う。

 

実際、彼のネットでの言論は家庭をもってからずいぶんとましになった。彼のことを情報発信手段として利用するネタ元も増えたようで、まあ、だれかに書かされているだけにしても、読み応えのある記事も増えた。従来の週刊誌が果たしてきたような役割の一部は、彼がネットでひとりで果たしていて、それは単純にすごいことだと思う。

 

彼を嫌悪する感情がないといわないが、同族嫌悪の部分もあるだろう。

ゲームの趣味はおそらくかなり似ている。

生き方、価値観はだいぶ違うが、彼もまたネットがあってはじめて社会に居場所を得られた人間だと思っている。

 

とりあえず、あなたはいいひとだと思う、と叫びながら粘着的な攻撃をしてくる山本一郎氏の意図が不明で気持ち悪いので、最後に、ぼくの正直な気持ちも書いてみた。