民主主義は本当は独裁よりもましなのか?

あんまりはっきりとした結論が出ないエントリであることをあらかじめお断りしておく。

↓のような記事を読んだ。


まあ、とくに内容についてはコメントすることはないのだが、民主主義について思っていることを書く。

この記事の中では民主主義は「ひとつの価値観が暴走することを防ぐための画期的な発明である」というようなことが書いてある。そしてそれは国家統治のためには優れていてもビジネスにおいては非効率であるということが書いてある。

民主主義について、こういう類の否定と肯定が入り混じった言説はよく見る。なかでも有名なものはチャーチルの演説の中での「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という一節だろう。

ぼくはこういうテーマを見ると、本当のところはどうなんだろうと、すぐに頭の中で民主主義を表す力学的な数理モデルを考えたくなるのだが、これがなかなか十分に納得できるものをつくるのが難しい。ただ、断片的なモデルからでも思うのは、権力の暴走を防ぐといった表現は、民主主義の特徴を示すにはちょっとニュアンスが違うんじゃないかということだ。

単純化した簡単なモデルを示す。

 

正しい決定をおこなう独裁者のいる組織をAとする。

間違った決定をおこなう独裁者のいる組織をBとする。

なにも決定できない消極的な独裁者のいる組織をCとする。

正しい決定をおこなう民主的組織をaとする。

間違った決定をおこなう民主的組織をbとする。

なにも決定できない民主的組織をcとする。

上に引用した記事で主張している内容をこの記号をつかって説明すると

・ 民主的組織はaあるいはbよりもcになる傾向がある。

・ 民主的組織a,b,cは独裁的組織ABCよりも決定に時間がかかり効率が悪い。

・ 独裁的組織がBになるリスクよりも、民主的組織がbになる確率のほうが低い。

という3点になるだろう。これについては概ね正しいといったん考えることにする。

そうすると、民主主義の独裁に対する利点が、もし権力の暴走であるBが起こらないことだとすると、その理由は正しい決定aをよりおこなうからではなく、なにも決定しないcになりやすいからだということになる。

つまり民主主義の本質は正しい決定をすることではなく、なにも決定しないことにあるということになってしまう。そして、ぼくはこの結論は案外と正しいんじゃないかと思っている。

民主主義か独裁かを問わず組織として決定しないほうがうまくいく場合とはどんなものが考えられるか。それはなにか決定すると正しい結論A/aではなく、間違った結論B/bになってしまう可能性が高いような場合だろう。どういうときにそういうことになるかというと、単純に問題が複雑で難しい場合と、トップが民主的あるいは独裁で判断するよりも現場が勝手に判断したほうが正しいような場合の2種類だろう。

特に巨大化した組織ではトップといえども分業化が進むので現場としての判断能力はどんどんなくなるから、なにも決めないでくれたほうが組織はうまく回ることが多い。そういう意味でなにも決めれない民主主義は巨大な組織の運営方法として向いている。つまりなにも決めないほうが現場への権限委譲が進んで効率がよくなるというのが民主主義の利点の本質ということになる。

さて、もし、そうだとすると上のモデルではCとなっている、なにも決定できない独裁者のいる組織というのもなにも決定できない民主主義と同じぐらいに権限委譲が進んで素晴らしいのではないかという推論もでてくる。これはこれで正しいのではないか。「神輿は軽くてパーがいい」とは小沢一郎がいったとされる言葉だ。

まあ、結局のところ引用記事でもあるように民主的組織なんて意志決定機構としては効率が悪く、正しい意志決定の能力がある人間が独裁したほうがうまくいくのは間違いない。でも、正しい意志決定ができない場合に、あえて意志決定をしないための手法として民主主義が機能する場合があるというのが、本当のところではないかと思う。でも、民主主義以外にも意志決定をしない手法は組織的に権限委譲をすることなども含めてたくさんある。権限委譲を正しく設計できる有能な独裁者がいるなら民主主義なんてまったく利点は見当たらない。ようするに民主主義はやはり最低の意志決定手法であるということだ。

なのにこんなに民主主義がはびこっているかについては、組織としての効率よりも、自由、平等、博愛のイデオロギーの影響が強い現代において組織の構成員がもっとも納得しやすい意志決定手法であるということが大きいだろう。まあ、みんなを説得できるなら、できれば民主主義じゃないほうが望ましいということだ。

 

さて、民主主義の特徴して、引用記事が指摘したこととして、民主主義は効率が悪い、具体的には決定に時間がかかることがあげられていた。これについても実はなんらかの利点があるというモデルが考えられないだろうか。

ということで方向性を示唆しているように見えるもうひとつの記事を引用する。

アイデアを出すことが企画だと思ってる奴は100万回死んでいい 島国大和のド畜生

これで指摘されているのは、企画者が5秒で考えたアイデアで開発チームが1年間拘束されることがあるという指摘である。

組織が大きくなるとこういうことが多発する。

思いつきで影響力の大きな決定を頻繁にされたらまったくもって迷惑である。せめて一定期間にやっていい決定について回数制限とかはなんらかの形でしてほしいところだ。その実質的な回数制限に民主主義は役立っている可能性があるのではないか。

 

このように、ある一定のリソース*時間を消費するプロジェクトの実行を決定するのにかけるべき時間を定量的に説明できるような数理モデルというのはどんなものが考えられるだろうか、そんなことをさっきから考えていたのである。もちろん答えはまだない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナベタくんの選挙・都知事編・大塚英志

ここんところ、すっかりナベタくんブログになっています・・・。

 

以下転載。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

みなさまへ

 

大塚英志です。

 

「ナベタくんの選挙」東京都知事編です。

ネット選挙の狂躁も醒め、淡々と彼の選挙は続いています。

ネットの住人はカスタマイズされたイベントにユーザーとしてのみ参加し、リア充型の若者は「繋がり」が社会参加の目的なのか、彼のように「自分一人で何かをやる」というスタイルはどちらの住人にも、「評価」はされても同じ事をするものは殆ど現れません。

 

前回、マスコミ関係の取材を通じてメディアのコネもできたのですが、それを通じて拡散することは彼のモラルに反するようです。

そんなわけで最初に彼の動画を見て下さい、とお願いした3人の個人と一つの出版社のかたに「勝手に」かれのメールの一部と動画サイトのアドレスをご紹介します。

このメールを含めよかったらどなたかにどこかでご紹介下さい。

 

以下「ナベタくん」のメールす。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ご無沙汰しております。

都知事選で「やってみた」結果の動画をアップしました。

東京都知事選挙候補者に会って質問できるか やってみた」 
youtube→ 
http://www.youtube.com/watch?v=K7UpcCNfMWM 
ニコニコ動画→ 
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22782198 

……
回答が得られたのは16人中3人。
回答得られた候補は、宇都宮候補、中川候補、五十嵐候補です。

回答率18.75%はこれまでで最も低いものになりました。
けど、それも「やっぱりか」という感じがしています。
ひとつは、選挙の規模が大きくなると「距離」も広がっているような気がすること。
これまでの回答率は――

衆院選5人中1人 20
参院選20人中6人 30
市長選2人中1人 50
都議選5人中3人(予定) 60
市議選21人中19人 約90

――
というピラミッドになっていたので。
たまたまなのかもしれないですが、でも出来すぎてるなあ、と。

もうひとつは、「当選する」という熱を感じる陣営がすくなかったこと。
告示日に事務所の届け出があったのが10人だったり。
会って回答を得られた候補のなかでも「福生市」を知らず
福生市民」という肩書きをみて「宗教?」と訊かれて
「フクオシミン」というふうに読まれてしまったり。

ナベタ君とネット選挙について思うこと

 

 昨年、大塚英志さんからのメールを転載したナベタくんの選挙は大きな反響があった。

 とにかく候補者に個人があってどういう政策かを純粋に尋ねつづけて、その結果を動画にアップする。ジャーナリストではなく、個人としておこなう。そのひたむきな姿にネット時代の有権者の理想のありかたを見たひとは多かったと思う。

 ところが今年になってまた送られてきた大塚さんからのメールによると、そのナベタ君のやっていることは公職選挙法にあたると警告を受けたらしい。それもその警告はナベタ君の活動に好意的な取材をしたいと申し入れたあるテレビ局のスタッフによるおこなわれ、結果、好意的な報道どころか、「ネット選挙運動、都議選で「フライング」行為」というような否定的な報道をされたということだ。そして調べてみると、どうもナベタのやっているような政治家にインタビューをしてその結果を世間に報せるという行為はメディアはやってもいいけど、個人でやると選挙違反とかになるのがルールみたいだという。

 そうこうしているとこんなニュースもでてきた。

「RT、ダメですよ」――ネット選挙運動、未成年者は禁止 総務省が注意呼びかけ

 未成年者はネットで選挙運動にあたるような情報をtwitterとかでつぶやいてはいけないらしい。ここまでくると、選挙違反とかいうより言論統制に近い。

 まあ、総務省も(警察も?)おそらくは試行錯誤のネット選挙なのだろう。無制限というのもまずいような気がするから、とにかく、なんか、線を引いてコントロールしなきゃ、というような雰囲気が透けて見える。どう考えても本当に重要な線引きではない。意味があるとしたら、規制はなんらかするつもりですよ、という意思表示をしたいということだけだ。

 

 最後に、ナベタくんの2回目のエントリをアップ後、大塚英志さんから追加でのせてくれという文章がきたので掲載する。やはりナベタくんみたいな存在は必要でそれで分かることもある、と思った。

 

※以下大塚英志さんのメールをママ転載。

 

大塚英志です。

もし、先日のメールをブログに掲載されるなら、以下も掲載して下さると嬉しいです。

ナベタ君の先ほど北メールです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

今回の結果の報告動画をアップしました。


都議選西多摩選挙区候補者に質問してみた、かったけれど……
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=o03qARYZXKk
ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21156698

……
もう一度、都選管に電話をして、「これは問題になるのか?」といろいろ訊き。
「候補者名を出さず会おうとした顛末を記す」のは問題ないのではないか、といわれたので、
都選管の見解を受けて動くのやめた説明とともにそれをアップすることにしました。

実は、「ある候補者」の顛末は番号順そのままで。
背景にしている駅も、それぞれの事務所の最寄り駅だったりします。
都合良く事務所の場所がばらけていたので。
あとは、そこを指摘されてしまうのかどうか……

選管について検索してみて。
もっとも意外だったのは、中央選管や都選管の委員の多くが元議員だったこと。
もっと独立した機関かと思っていたのに。
対戦チームの関係者が審判として試合を裁いているような感じがしてしまって。
委員のリコールも住民だけでは完結せず議会の同意が必要だったり。
いったい何なんだろうなと……

 

 

ナベタくん(仮)の選挙の続報 ※大塚英志さんのメールをそのまま転載

 

大塚英志です。

 

ナベタ君へのメディア、選管の対応です。

以前、「ナベタ君・・」についての文章をお送りした方にお送りしています。

彼のメールを勝手に、添付します。

 

 

1 ナベタ君に賛同するという言い方で取材を申し込んできたTBSが突然、「公職選挙法に触れるから」といい出し、取材半ばで以下のような報道の素材に使われたようです。

・・・・・・以下、その事情をかたるナベタくんメール添付。

 

検索してみたところ、TBSのNews iのページに
「ネット選挙運動、都議選で「フライング」行為」
というタイトルで一度は動画があげられていたようですが、
現在は削除されたのか、みることはできなくて。

ただ、テレビ番組の話題を紹介するサイトで、以下のような記事をみつけました。
検索ページでわすかに目にすることができた、
上記動画につけられていた文章とは重なるところがあるので、
たぶん、これなのだろう、と。

     *

去年インターネットに投稿された「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか やってみた」という動画が注目を集めている。内容は都内の男性が自分の選挙区の候補者全員の事務所を訪問し、政策を聞けるかというもの。男性が会うことができたのは5人のうち1人だけだったが、ネット上には多くの反響が寄せられた。7月の参議院選挙以降 インターネットを使った選挙活動が解禁になると、政党や候補者だけではなく有権者もHPやブログでの宣伝、動画を投稿することなどが可能になる

この動画投稿者の行為は特定の候補への投票の呼びかけにつながるおそれがあるとして来月の参院選までは違法になるというのが選管の見解となっている。男性は今回の都議選でも自分の選挙区だけはやるつもりだと話した。立候補を届け出たある候補者は選挙期間中もツイッターなどで演説の日程や場所を告知したいとしている。東京都選挙管理委員会の三浦雄二指導係長はフライングへの注意を呼びかけた。選挙初日のきょうもすでに複数の陣営が演説の日時などをツイッターに投稿しているが、選管は注意を呼びかけていく方針。

     *

ちなみに、自分はまだ選管からは何もいわれてはいません。
明日、市の選管に行く予定ですが、そこで何かいわれるのか……。

記者の方からは
「識者に話を聞くと、 
「ナベタくんの選挙」は今回の都議選までは公職選挙法に 
ひっかかる可能性がありそうだということです。」
といわれて、
識者の方は具体的にどこが問題だといっているのか、とお訊きしたところ
「まず現在の公職選挙法で何が選挙運動に当たるかの条件が 
・選挙期間中、インターネットを利用して 
・特定の選挙について 
・特定の候補者の投票を促す 
という行為です。 
この条件を照らし合わせると、 
動画の構成上、やはり見え方としては 
・ユーチューブ・ニコ動で 
・2012年の衆院選で 
・井上候補の投票を促す 
となってしまう可能性があるということでした。」
という返信がきました。

記者の方からは
「我々が選挙期間中、「絶対のルール」としてやっている 
各候補者の露出時間を平等にする」
ともいわれましたが。
これについては、でも既存メディアは、泡沫とした候補に対しては平等に扱ってないやん、
と思ってしまいました。
さすがにそれをいったら印象悪くなるなと思って返信はしませんでしたが。
それでも、いう通りにやめようとしなかったことで、こういう伝えられ方になったのかな、と。

記者の方は、そのメールの末尾では「これからも応援させていただきます!!」
といっていたのですが……。
うーん、こういうテレビ(というかTBSは)こういうとこなんだなあ、と。 
ある程度予想はしていたつもりでしたが、実際あってみると、やっぱりショックです。

得難い経験をした、と思うようにして。
これからどうなるのか、動き続けてみます。

 

2 その後、候補から「公職法」を理由にインタビュー拒否が出ました。

そのメール。

 

 

・・・・・・・・・・・・・以下コピペ。

 

質問にいった際、いま自分の行動に対して問題視する見方もあることもいうと

「都選管に確認してみてから」という話になったので、

改めて都選管に電話で訊いてみました。

 

その結果「問題がある」との回答でした。

 

自分は、誰かを当選落選させようという意図はなく、

既存メディアが謳うのと同じ公正中立というスタンスで情報を伝える、

「選挙運動」ではないとはいったのですが。

それでもいけない、と。

動画でも文章でもネット上にアップするのは、文書図画の頒布になるからだめだと。

 

既存メディアも伝えるところをネット上にアップしていて、

それと同じスタンスでやっているのだけどいったところ、

「マスコミには選挙報道の自由がある。でも個人は問題」だと。

 

候補者の主張をまとめたものを記す、などもだめ。

現行の公職選挙法では、

個人が、ネット上で候補者氏名などを記すのもいけない、ということでした。

 

具体的には「142条1項」と「146条1項」に抵触すると。

「142条1項」は、選挙運動のために規定されたビラなど以外の頒布を禁じたもの。

「146条1項」は、候補者などの支援もしくは反対などを表示した文書図画の頒布を禁じたもの。

自分がこれを読み判断する限りでは「選挙運動」でなければ大丈夫だと思うのですが。

それでも選管は「問題」だと。

 

個人がネットでアップできるようになるのは、

投票日の24時を過ぎて翌日になってから、ということでした。

質問して動画も撮って、でも公開は投票日翌日に、というのも考えました。

でも、その情報は無意味ではないけれど、投票の参考にはならないもの。

投票の参考に、というのがかなわないのであれば、

その行動は、ただの自己満足に近いものになってしまう気もして。

 

個人がNGでマスコミがOKなら「ジャーナリスト」を名乗る手もあるけれど。

たんなるひとりの有権者として動きたかったので

そこで自分のことを「マスコミ」だと偽りたくはなくて。

 

だったら、今回はやめよう、と思いました。

 

なんだか、とてもやっつけられた感じです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

と言うことです。

さて、

「ナベタ君の選挙」は現在の公職選挙法で本当に「違法」なのでしょうか。

選管の「マスコミには選挙報道の自由がある。でも個人は問題」という見解は、正しいのでしょうか。

彼はどうするべきでしょうか。

ナベタくん(仮)の選挙   ※大塚英志さんのメールの転載

※HPもフェイスブックもやっていないから、という大塚英志さんからメールで送られてきた文章をそのまま転載しました。

 

 ぼくの昔の教え子にナベタくん(仮名)、という子がいる。

 十年以上か、もう少し前、ぼくが専門学校で二年ほどラノベの書き方を教えていた時の生徒だ。真面目な子だから卒業後は書店でアルバイトをしつつ小説を書いている、という近況を聞いたのは七年か八年前だ。彼らと卒業後やっていた勉強会も、ぼくが神戸の大学に行くことになって止めてしまったので、この何年か何となく音信不通になっていた。

 ところが去年、ニコニコ動画の公式チャンネルで月イチのまんがの番組を公開録画で始めると、当時の教え子の姿がちらちらし出した。介護士をやっている奴や、中には誰でも知っている携帯ゲームを考案した奴もいたけど、ナベタくんは色々あって本屋のバイトも辞めて、ニートというか微妙に引きこもり状態だという話で、リハビリを兼ねて(?)会場に顔を出すようになった。昔から真面目すぎる奴だから本屋でのアルバイトで人間関係とか色々なことでちょっとだけ心療内科系のお世話になることになったらしく、なんていう彼のプロフィールは多分、今の時代、少しも珍しくはない。

 そのナベタくんが誰に言われるでもなく始めたのがブログで、そこまでは本当に普通なのだが、その内容がちょっと変わっていた。彼は東京郊外のとある市に住んでいて、住民票もそこにある。つまり選挙権もある。有権者のはしくれである。彼はその地元の市長選挙だか市議会選挙が始まると、候補一人一人の選挙事務所を訪ねていって、そこでの受け答えをブログに載せたのである。別にツテやコネがあったわけでもなく、直接選挙事務所に電話をしてアポをとり訪ねていく。大抵は門前払いだが、驚くのはそれでも会って話をしてくれる候補がいたことだ。質問はコンパクトにまとめ、それをブログに短く書き込む。

 ナベタくんには特定のイデオロギーや政治的背景はない。本当に見事にない。ぼくはその専門学校で政治の話は一切しなかったし、彼とそういう話をしたこともない。覚えているのは、いつも彼が四方を何かに囲まれた世界から主人公が何とか脱出しようというモチーフの小説を繰り返し書いていたことだけだ。仲々うまく描けなくて、それは今思えば何だかその後の彼の人生を象徴しているように思えるけれど。

 ナベタくんのブログは政治の話とはいえ、ネットでの政治の語り方と全く異質で「ネット右翼」でもないし、そもそも何か政治的主張が左右どちらかに対してあるわけでもない。ただ、選挙に出た人たちがどんなことを考えているか、特に地方選では少しもメディアは伝えてくれないから、それなら自分はヒマだし聞きにいってブログにでも書いたら誰かの役に立つかもしれない、ただ、それだけの動機で始めたのだ。だから「見たまま、聞いたまま」をそのまま書く。

 ぼくは去年、その話を聞いて、君の人生がそれでどう変わるわけでもないだろうけれど、とてもいいことをしているから次の選挙でもやるといいんじゃない、と夜中のマクドナルドで百円のコーヒーを奢って彼に話した記憶はある。

 さて、その「次の選挙」が実は去年末の衆議院選挙であった。ナベタくんは少し社会復帰したらバイトして安いカメラを買ってインタビューを動画でアップできたらいい、と考えていたようだ。そして選挙が近づき、本当に偶然だけど、ナベタくんは街中で彼の先輩とあった。先輩は社会人でナベタくんよりお金がある。何やってんのさ、オマエ、みたいな話の中で、この選挙のブログの話となった。先輩はその話を聞いて「とてもいいことだから」と、そのまま彼を家電量販店に連れていって一番安い動画の撮れるカメラを買ってくれたという。ナベタくんはとても恐縮したけれど、何だか背中を世の中に押された気がした。

 ナベタくんの暮らす市が含まれる選挙区には主だった政党が皆候補を立てていた。市議会選挙だったら数十票で結果がひっくり返ることだってあるから、ナベタくんのようなよくわからない青年だって一応「一票」なのだからと、相手をしてくれる候補もいたけれど、今度は国政選挙である。

 そもそも彼はアルバイト先で対人関係でのトラブルがあって以来、調子を崩していて、ぼくの教え子だけれどぼくとは正反対で全く押しの強いタイプではない。それでも勇気を出して一人一人の選挙事務所に電話をし、訪ねていった。結局、ちゃんと話してくれたのは日本共産党の候補だけだった。けれども断られ方も色々で、それもそのまま脚色せずに文章にして、候補者のポスターの上にテロップで載せた。生まれて初めて動画を編集し、ニコニコ動画YouTubeに自力でアップした。どうにも不格好な動画だけれど、とにかく全部自力でやった。

 各候補の対応の中で日本未来の党の事務所の対応は、どうもナベタくんの話を聞く限りやや心なかったようだ。もちろん一人一人の有権者のアポにいちいち対応できない、というのはその通りだけれど、彼に向かって指を差して怒ったことは、同じように昔、アルバイト先で指を差されてなじられた経験を持っていたナベタくんにはちょっとショックで、その後丸一日、足が震え、心が折れかけたみたいだ。逆に自民党などは断り方もソツがないな、と感心するし、ナベタくんに一時間近い時間を割いて真面目に話してくれた共産党の人は親切すぎる。ニコ動で「やべ、共産党の人、やさしすぎ」なんていうコメントがあったぐらいだ。

 ここまで読むと、何だかナベタくんのやっていることを昔のマイケル・ムーアのアポ無し取材のように感じる人もいるかもしれないが、全く違う。本当におそるおそる、思いっきり腰が引けている。そこが実はとてもいいし、共感できる。

 ナベタくんは優しく話してくれた人も、何となく足蹴にされた人もなるべくニュートラルにその経緯を書き、そしてインタビューに応じてくれた共産党の人の動画を含め、一本の動画にまとめた。そうすると直接候補の話を聞けなくても、やはりその候補なり政党の有権者への態度は伝わってくる。選挙演説や政見放送ではわからない生の情報がそこにある。少なくともそれは誰に一票を投じるか、とても大切な基準になる。

 結局、選挙当日までに動画を見てくれたのは、ニコ動とYouTube合わせて一〇〇〇人に満たない。何だ共産党の宣伝じゃない、というコメントもあったが、別に公明党でも未来でも話してくれればそのままナベタくんはネットに載せた。未来の党の人の対応に批判が集まったが、無論、未来の党を叩くことが目的ではない。全て「ありのまま」だ。質問がつまらない、というコメントもあったが、それは今後の課題だし、だったら「こういうことを訊くべきだ」と言ってほしい、とナベタくんは思う。ナベタくんも、もう少し勉強しなきゃいけないけどね。ヒマ人しかできない、という声もある。しかし、ニートだから時間だけはあるのだ。そう考えると、ニートも社会の役に立つ。時間以外は先輩に買ってもらったカメラだけが、今のところナベタくんが持っている全てだ。

 それでも書き込みの中には「とてもすごいことをしているのかもしれない」という声も少しだけあった。ぼくもそう思っている。

 ぼくはもうこれ以上、繰り返さないが、柳田國男が何故、日本人がちゃんと選挙がやれないのかを第一回目の普通選挙の時に憤った話をしたのか、と思う。柳田は自分の見たことや感じたことを正しく記録し、それを持ちよってみんなで考える仕組みを作るしかこの国の選挙は正しい形にならないと考え、彼は民俗学にそれを託した。けれど民俗学はただの「学問」になってしまった。

 でも柳田の考えたことはできないことなのか。

 ぼくには、ナベタくんがたった一人でやったことは柳田國男の考えたことの実践のように思う。一人一人の選挙民が「選挙群」として考えなしに空気を読んで投票する愚かしさを、昭和の初めからこの国はずっとしてきている。ナベタくんは自分の選挙区で誰に投票したらいいか判断する材料をニコ動を使ってニュートラルに提供しようとした。繰り返すが、彼にイデオロギーがあるわけではない。しかし「考えるため」の材料を人々に提供し、そして考えてもらう、という彼のスタンスはとても正しい。ニコ動で柳田の理想が形になった気がした。

 もちろん候補にしてみれば素性の知れないニート青年にいちいち対応していられない、というのは正論だ。ナベタくんを諫めた未来の人の対応にもその意味で一理ある。例えば「名刺もないのか」とその人に言われ、ナベタくんはそうか名刺か、と思い、生まれて初めて名刺を作った。彼は名刺をどこに注文していいかも知らなかったので、その時だけぼくは相談に乗ったのだが、「webジャーナリスト」とでも書いとけば少しは対応マシにならないかな、とぼくが言ったのに対して、ナベタくんはそれは違うと思いますと考え込んだ。そして結局「市民」という肩書きの名刺を作った。住所と携帯の番号とサイトのアドレスが書いてある。「市民」なんてすっかり死語か胡散臭いものになってしまったけど、ナベタくんの「市民」はカッコいい。ぼくは彼の話を聞いて、どこかで「物書き」という特権に甘えている自分が恥ずかしくなった。

 ここでもちょっといい話がある。生まれて初めて自分で名刺を作ろうとした彼は、ぼくにタウンページでも探せよ、と言われ、電話帳の広告を見て「格安」と書いてあった会社を訪ねていった。そこで「市民」という肩書きの名刺を作ろうとするナベタくんは、印刷会社の人にあれこれと聞かれた。まあ、怪しいし、不審に思う。ナベタくんは一時間ぐらい自分が何をしてどうしてこの名刺を作ろうとしているのかを真面目に話した。印刷会社の人は最後に「自分は実は在日なので選挙権がない。けれども君のやっていることは正しいよ」と言って名刺の印刷を引き受けてくれた、という。出来過ぎのようだが、本当の話だ。また、誰かが背中を押したのかもしれない。

 

 ぼくの周りのどちらかといえば左翼やリベラルの人たちは、今回の選挙の結果に本当に呆然としている。そして、実は「右」の人でもちょっとあり得ない、とことばを失っている印象がある。ぼくはというと去年の初めに散々「土人」だ「愚民」だと悪態をついたから、絶望することももうなかったが、けれども単にニヒリズムに陥らずに済んだのはナベタくんの行動のおかげだ。

 何だか自分が放り出した教え子に、いいかげん「土人」って言ってても仕方ないでしょ、と叱られた気さえした。ナベタくんはこの国の選挙に一つの可能性を示した。

 例えば、次の選挙でネットが解禁される可能性は高い。そうすると橋下徹のツイッターが象徴するように、有権者をいかに自分の優位な方に動員するか、プロパガンダ合戦になる。実際、ネットを使った選挙とは、候補者や政党がどうネットを使うか、にしか議論はなく、有権者がどうネットを使うか、ましてや特定の候補や政権のためでなく選挙をまともに行うにはどうネットを使えばいいのか、という発想は全くない。ニコ動だって、結局、小池百合子の「断髪式」を生中継するかしないか、レベルの対応しか今回だって出来ていない。この先もそうだろう。ぼくはその意味で半端にNHKにでもなろうとしてる「情報の送り手」としてのドワンゴに少しも期待していない。しかし、ナベタくんが使って見せたように、この国の選挙を少しだけマトモにするためにニコ動は使える。YouTubeもだ。

 例えば、だ。次の選挙で全ての選挙区にナベタくんみたいなニートくんがカメラを抱え、一人一人の候補にアポをとり、同じ質問をし、答えてくれた人はそのまま、断られた人はその経緯をなるべくニュートラルに平等に動画に挙げていく。質問もたくさんだと迷惑がかかるから、日本中同じものと地域に根ざしたもの三つぐらいがいいかもしれない。

 とにかくフェアに、ニュートラルに、がルールだ。

 そういう動画が全ての選挙区にアップされたとして、それでも次の選挙は少しも変わらないだろうか。この国の民主主義は相変わらずこのままだろうか。確かに何人もが同じことをしても仕方ないから調整も必要だし、特定の陣営の人が紛れ込むリスクもある。編集のちょっとしたニュアンスでバイアスをかけることだって出来なくはない。

 そういうリスクや問題点を一つ一つ挙げていったらキリがない。けれども、ぼくはナベタくんがこの国の選挙や民主主義についてwebを使って少なくともやってみる価値のある答えを出した、と思う。

 ぼくの友人でリベラルな人の中には「もう亡命したい」とか「有権者一人一人に訴えていくなんて、橋下や安倍相手にそんな正攻法はやってられない」という思いつめた声がけっこうある。しかし、ぼくは何だか少しも絶望していない。ナベタくんみたいな人が日本に現れることに、この国の民主主義の可能性を託してみたい気になってしまう。「それどころじゃない」のかもしれないけれど、でも、こういう足場を作っていくことでしか民主主義も選挙も変わってはいかない。

 そういうわけで、この文章は「全文をまとめて、かつ、修正とかは一切しないこと」を条件に、サイトや印刷物にいくらでも転載してかまわない。

 ナベタくんの動画は、

 

youtube「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか やってみた」

http://www.youtube.com/watch?v=iI6nOYOmXEE&feature=youtu.be

 

ニコニコ動画「衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか やってみた」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19560813?mypage_nicorepo

 

 で、見ることができる。ぼくが今、こういう文章を書いていること自体、ナベタくんは知らない(依頼された原稿ではないのだ)。ぼくもこっそり背中を押してみる。

 ぼくは『愚民社会』のあとがきで、どうしたらいいかなんて自分で考えろ、と書いた。ナベタくんは多分、ぼくの本なんか読んでさえいない。ぼくの本など読まない彼は、しかし自分で考えれば「答え」などいくらでも転がっていることをわかっている。

「ナベタくんの選挙」が、さて、どこまで広がるか。広がらないかもしれない。それでも少なくとも、次もまた彼は一人で候補者に電話をして、断られたりしながらカメラを回すと思う。

 

ネットに木霊する叫び

 どんな音楽が好きと他人に訊かれる経験はだれにでもあるだろう。ぼくはその場合に絶対に自分の好きな音楽を言わない。だいたい、なんでも聴く、とか、そのとき周りの友達とかが聴いている音楽を聴いているとか答える。まあ、嘘ではない。でも、周りの趣味とかに関係なく、いつも、ぼくが猛烈に惹かれてしまう、あるタイプの音楽もあるのだが、それについては滅多に口を開かない。 なぜかというと、大昔、好きだった子に馬鹿にされた経験があるからだ。どういう風にいわれたかというと、「汗くさい」「なんか貧乏くさい」というような形容詞のひとことで切り捨てられたのである。これはきつかった。

 具体的に名前を出してしまうと、そのときはTUBEというバンドだった。同じように猛烈に惹かれてしまうバンドにはACIDMANなんかもある。単発の曲とかでいうとD-51のサヴァイバーとかいう曲はとても好きだった。JAM Projectとかもぼくの中では同系統だ。

 別にぼくの音楽の趣味の話を今回したいわけではないし、だれかに共感してもらったり、薦めたいわけでもない。なぜ、これらの音楽に特別に自分が惹かれるかの理由を考えたのだ。

 ぼくが惹かれるポイントはなにかというと、ボーカルがとにかく叫んでいるということである。押さえきれないなにかを込めて叫ぶように歌っているのである。ここらへんが汗くさいイメージがつく理由だろう。ただし、ただ、絶叫すればいいってもんでもなく、ヘビメタなんかは、ぼくは嫌いだ。メロディがちゃんとある。メロディにのせて叫んでいるのである。

 これはぼくなりの表現でいうと、”上手く叫んでいる”ということである。上手く叫ぶとはどういうことか。ぼくの定義では他人にちゃんと聴いて貰えるように自分の思いを絶叫しているということだ。そういうものにぼくは惹かれる傾向がある。

 話は変わって、ぼくは最近、他人に話を聞いて貰えるようになった。話が面白いという賛辞を受けることが増えた。そういわれても、ぼくはいまいち喜ぶ気にはなれない。なぜなら、ぼくは昔から別にたいして変わってないからだ。ぼくは何十年も変わってないのに、ぼくの話なんて昔はだれも聞きたがらなかったじゃないか、とそう思うのである。

 この感覚は分かる人とそうでない人がいると思うが、ぼくは小学校の頃から1対1なら友達と喋れるが、友達の輪の中ではまったくひとことも喋れなくなることが多かった。ぼくが喋ってもだれも聞いてくれない、だれも望んでいないという恐怖から一言も喋れなくなるのだ。そうなると、だれかが気を遣って話を振ってくれても、もうなにも言葉がでてこない。

 当時のぼくのように、周りの人間関係の中で疎外感を感じながら、自分にはなにも喋る資格がないと思って、無口に暮らしているひとは、世の中にたくさんいると思う。この話をまったく理解できない人も多いだろうが、本当にそうだから、知っておいて欲しい。

 時々、電車で独り言をつぶやいているおばさんとかを見かける。街中で突然叫び出すおっさんとかもいる。そういうひともきっとずっとみんなの中で黙り続けて生きていたのだろう。ぼくもよくひとりきりになるとトイレや風呂場でひとりごとをいったり叫んだりする。言いたいことを聞いてもらいたいから無口になって生きるというのはそういうことだ。

 なので、最近はぼくの話も面白がってくれるひとが多いのだが、いまいち、嬉しくないのは、多少、恨みが残っているからだろう。だって、ぼくが一番だれかに話を聞いて時にあなたはなにも聞いてくれなかったじゃないか、と思うのだ。いや、もちろん、昔、そもそもあなたはぼくのまわりにはいなかったんだけれども。

 自分のいいたいことを聞いて貰えるように一生懸命工夫して話すのはぼくの原点だ。でも、その技術もぼくの記憶の中では大学生の時にはおおむね完成されていた。最近になってやっと話を聞いて貰えるのは、ぼくがかわったんじゃなく、まわりの環境、社会的な評価とかが変わったからにすぎない。ぼくは昔から同じだ。

 

 世の中にはだれかに話したい、叫びたい思いを抱えながら、現実世界では、ずっと黙って生きているひとがたくさんいる。そうひとの一部がネットで叫んでいる。5年前、ニコニコ動画が生まれたときの異様な熱気はそういうひとをポジティヴに救う場所がはじめてネットにできたからだろう。残念ながら、ニコ動以外でのほとんどのネットでは、そういった叫びはネガティヴな呪詛だ。

 ぼくはそういうのを見ると腹が立って本気で喧嘩をふっかけることがよくある。全力で叩きつぶそうとしたりする。だって間違っていると思うから。

 別に彼らの昔の自分を見て、まだ、そんなところにいるのか、こっちまでこいなんて偉そうなことを思っているわけではない。繰り返すが、ぼくは昔と変わっていない。環境が変わらないと人間は変わらない。

 ただ、思うのは、例え、ぼくの罵倒が、さらに彼らの頭に血を上らせカッカさせたとしても、ちゃんと彼らの叫びを無視するわけでなく切り捨てるわけでなく真っ正面から向き合う人間の存在はなにか生きている実感は与えるのではないか、ということだ。

 そう、信じることにして、時にぼくはネットで自分の抱える欲求不満を発散させるのだ。

 

ケイクス加藤さんに訊ねてほしいハックルさんのこと

今週の水曜日にこういう番組があるらしい。

 

cakes(ケイクス)VSブロマガ~どうなる? ネットとクリエイターの未来~加藤貞顕×川上量生×ハックル

 

雑誌形式の電子書籍ともいえるケイクスとブロマガの比較と、今後のネットとクリエイターの行方はどうなるか、みたいなのが番組のテーマらしいが、、そんなことはどうでもよくて問題は司会のハックルさんこと岩崎夏海氏である。

 

岩崎夏海氏といえば、はてなブックマークではファンとアンチを両方とも大量に獲得し、どっちかというとアンチあるいはややうさんくさい目で見ているひとのほうが多いかなという超有名ブロガーだ。

 

彼が数年前に、『もしドラ』こともし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を出版し、大ベストセラーになったことはネットの一部、つまりはてな界隈では大きな驚きだった。

 

まさか彼がそんな世間的な大成功を収めるような人物だったとは、みんな思っていなかったのである。

 

今にいたるまでもネットの少なくともはてな界隈では『もしドラ』の評価もハックルさんの評価もとても低い。でも、売れた。とてつもなく売れた。この事実をどう解釈するべきかはネットの数多のハックルさんウォッチャーにとっても重要な問題であった。

 

事実はともかくとして、なにかの間違い、あるいは運が良かっただけ、と思いたいのがアンチハックルさん達の正直な気持ちだろう。

 

ぶっちゃけ僕自身も『もしドラ』を読んだとき、つまらないし、くだらない、と思ったし、まさかこんなに売れるとは予想だにしなかった。少なくともマーケティングに関わる人間としては『もしドラ』が売れることを予見できなかった僕は大いに恥じ入るべきだろう。それでもなお、いまだ未練がましくも、つい考えてしまうのだ。

 

もしドラ」って本当に面白いの?

 

ハックルさんて、本当に才能あるの?

 

これはハックルさんのファンあるいはアンチを問わず、ハックルさんに関する究極の疑問であり謎だといえよう。

 

そこで今回の放送に登場するケイクス加藤貞顕氏である。

 

加藤さんは、ピークオブケイク社を創業し電子雑誌ケイクスを立ち上げる前はダイヤモンド社の編集者をやっていて、なんと『もしドラ』も彼が担当していたのだ。

 

ハックルさんとはなにものか、もしドラとはいったいなんだったのか、という疑問をぶつけるのに彼より適任なひとはいないだろう。明日、対談するドワンゴ川上量生氏にはぜひ以下の質問を加藤さんにぶつけて欲しい。

 

(1)『もしドラ』という本の中身について加藤さんはどの程度かかわったのか?また、本のマーケティングプランを立てたのは加藤さんなのか岩崎さんなのか?

(2)ぶっちゃけ『もしドラ』を150万部も売った本当の功労者は作者岩崎夏海と編集者加藤貞顕のどっち?

(3)加藤さんは岩崎夏海氏には、A:才能がある or B:才能がない。どっちだと思っている?

(4)無難にAと答えるだろう加藤さんに尋ねます。ケイクスを立ち上げるときに才能もありパートナーとして大成功した仕事もしたことのある岩崎夏海氏に執筆者の一人として声をかけなかったのはどうしてなのでしょうか?

(5)人間岩崎夏海についてどう思いますか?ぶっちゃっけ人格的にどう評価していますか?

 

ほぼ毎日更新をしているハックルさんのブロマガを読むにつけ、あらためて、彼の実力は本物だと感じます。

 

ブロマガの発表会で月額840円は高いんじゃないかという指摘に対して、岩崎夏海氏は、それに見合う記事を書くように自分を奮い立たせるんだと主張していましたが、いまのところ彼のいうとおりのクオリティを実現できているようにみえます。数あるメルマガのなかでハックルさんのが今一番面白いし、いろいろ考えさせられる斬新な視点を与えてくれる、そういう記事を書いています。なぜ、彼をケイクスの看板にもっていかなかったのか?よほど付き合うのがめんどくさい人なのか?

 

多くのひとが感じているハックルさんの自己承認要求の強さ、自意識の過剰さ。それを彼自身は’わざと”演じていると主張しているが、おそらく、だれも信じてないだろう。彼は本当に天才なのかどうか?ただ、天才とはえてして人格面に偏りがでるものである。ネット以前は一般人が知ることのなかった天才の内面をたまたま、ぼくらは目撃しちゃっているだけなのかもしれない。

 

もうひとつハックルさんの人格形成に影響あったかもしれない重要な要素として、ハックルさんはもし天才だとしても、これまた別の天才秋元康の付き人として長く側にいたことがある。秋元康はハックルさんの才能を見いだしていたのかそうでないのか?『もしドラ』が大ヒットしたあとは、あいつは昔から見所あったとか過去が塗り替えられている可能性も高いように思うが、実際のところはどうだったのか?おそらくはもんもんとした思いを秋元康の側で抱えていたのではないだろうか?

 

とにかくハックルさんが、ネットでいま一番面白い。