民主主義は本当は独裁よりもましなのか?

あんまりはっきりとした結論が出ないエントリであることをあらかじめお断りしておく。

↓のような記事を読んだ。


まあ、とくに内容についてはコメントすることはないのだが、民主主義について思っていることを書く。

この記事の中では民主主義は「ひとつの価値観が暴走することを防ぐための画期的な発明である」というようなことが書いてある。そしてそれは国家統治のためには優れていてもビジネスにおいては非効率であるということが書いてある。

民主主義について、こういう類の否定と肯定が入り混じった言説はよく見る。なかでも有名なものはチャーチルの演説の中での「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」という一節だろう。

ぼくはこういうテーマを見ると、本当のところはどうなんだろうと、すぐに頭の中で民主主義を表す力学的な数理モデルを考えたくなるのだが、これがなかなか十分に納得できるものをつくるのが難しい。ただ、断片的なモデルからでも思うのは、権力の暴走を防ぐといった表現は、民主主義の特徴を示すにはちょっとニュアンスが違うんじゃないかということだ。

単純化した簡単なモデルを示す。

 

正しい決定をおこなう独裁者のいる組織をAとする。

間違った決定をおこなう独裁者のいる組織をBとする。

なにも決定できない消極的な独裁者のいる組織をCとする。

正しい決定をおこなう民主的組織をaとする。

間違った決定をおこなう民主的組織をbとする。

なにも決定できない民主的組織をcとする。

上に引用した記事で主張している内容をこの記号をつかって説明すると

・ 民主的組織はaあるいはbよりもcになる傾向がある。

・ 民主的組織a,b,cは独裁的組織ABCよりも決定に時間がかかり効率が悪い。

・ 独裁的組織がBになるリスクよりも、民主的組織がbになる確率のほうが低い。

という3点になるだろう。これについては概ね正しいといったん考えることにする。

そうすると、民主主義の独裁に対する利点が、もし権力の暴走であるBが起こらないことだとすると、その理由は正しい決定aをよりおこなうからではなく、なにも決定しないcになりやすいからだということになる。

つまり民主主義の本質は正しい決定をすることではなく、なにも決定しないことにあるということになってしまう。そして、ぼくはこの結論は案外と正しいんじゃないかと思っている。

民主主義か独裁かを問わず組織として決定しないほうがうまくいく場合とはどんなものが考えられるか。それはなにか決定すると正しい結論A/aではなく、間違った結論B/bになってしまう可能性が高いような場合だろう。どういうときにそういうことになるかというと、単純に問題が複雑で難しい場合と、トップが民主的あるいは独裁で判断するよりも現場が勝手に判断したほうが正しいような場合の2種類だろう。

特に巨大化した組織ではトップといえども分業化が進むので現場としての判断能力はどんどんなくなるから、なにも決めないでくれたほうが組織はうまく回ることが多い。そういう意味でなにも決めれない民主主義は巨大な組織の運営方法として向いている。つまりなにも決めないほうが現場への権限委譲が進んで効率がよくなるというのが民主主義の利点の本質ということになる。

さて、もし、そうだとすると上のモデルではCとなっている、なにも決定できない独裁者のいる組織というのもなにも決定できない民主主義と同じぐらいに権限委譲が進んで素晴らしいのではないかという推論もでてくる。これはこれで正しいのではないか。「神輿は軽くてパーがいい」とは小沢一郎がいったとされる言葉だ。

まあ、結局のところ引用記事でもあるように民主的組織なんて意志決定機構としては効率が悪く、正しい意志決定の能力がある人間が独裁したほうがうまくいくのは間違いない。でも、正しい意志決定ができない場合に、あえて意志決定をしないための手法として民主主義が機能する場合があるというのが、本当のところではないかと思う。でも、民主主義以外にも意志決定をしない手法は組織的に権限委譲をすることなども含めてたくさんある。権限委譲を正しく設計できる有能な独裁者がいるなら民主主義なんてまったく利点は見当たらない。ようするに民主主義はやはり最低の意志決定手法であるということだ。

なのにこんなに民主主義がはびこっているかについては、組織としての効率よりも、自由、平等、博愛のイデオロギーの影響が強い現代において組織の構成員がもっとも納得しやすい意志決定手法であるということが大きいだろう。まあ、みんなを説得できるなら、できれば民主主義じゃないほうが望ましいということだ。

 

さて、民主主義の特徴して、引用記事が指摘したこととして、民主主義は効率が悪い、具体的には決定に時間がかかることがあげられていた。これについても実はなんらかの利点があるというモデルが考えられないだろうか。

ということで方向性を示唆しているように見えるもうひとつの記事を引用する。

アイデアを出すことが企画だと思ってる奴は100万回死んでいい 島国大和のド畜生

これで指摘されているのは、企画者が5秒で考えたアイデアで開発チームが1年間拘束されることがあるという指摘である。

組織が大きくなるとこういうことが多発する。

思いつきで影響力の大きな決定を頻繁にされたらまったくもって迷惑である。せめて一定期間にやっていい決定について回数制限とかはなんらかの形でしてほしいところだ。その実質的な回数制限に民主主義は役立っている可能性があるのではないか。

 

このように、ある一定のリソース*時間を消費するプロジェクトの実行を決定するのにかけるべき時間を定量的に説明できるような数理モデルというのはどんなものが考えられるだろうか、そんなことをさっきから考えていたのである。もちろん答えはまだない。