情報公開の議論が難しい理由

あらためていうが情報公開に反対する意見を表明するのは非常に難しい。昨日の記事のコメント

http://b.hatena.ne.jp/entry/kawango.hatenablog.com/entry/2018/04/04/143826

から引用してみる。

 

takuver4 気持ちは分かるが、それはオープンな場で言っちゃ駄目な内容な気がする。 

 

こういう空気はまず実際にあるということを指摘したい。他のコメントをみても、脊髄反射的にとにかくありえないと否定するひとが非常に多い。

 

反論というよりは、罵詈雑言のたぐいがいちばん多いのはネットの常としても、それをのぞいて、一番多くみられたのは、情報公開のコストがかかるのは民主主義のコストで受け入れるべきだというものだ。

いくつか抜き出してみる。

 

cript これは民主主義国家の普通に必要経費。しかもケチっちゃいけないところ。 

 

BigHopeClasic 確かにコストはかかるだろうし情報公開を衆愚が粗探しに利用することも否定しないが、しかしそれは我々が民主主義を維持する上で不可避のコストであり最初から民主主義が予定するコストだろうに。

 

motidukisigeru 「情報公開による不正を減らすという目的は、究極的には国民の税金の無駄遣いを減らすことが一番」全く違う。情報非公開による不正が許される場合のコストは「税金の無駄遣い」どころじゃない。それこそ国が滅ぶ。 

 

sika2 そもそも情報公開なんて民主主義の根幹なんだから、コストと比較衡量するべきもんでもないだろう。「投票はコストがかかり過ぎてデメリットが多いから廃止すべき」なんて言わないだろう。

 

 

どうも彼らのいっていることをまとめると

 

・ 情報公開のコストは必要経費である。なぜなら情報公開は民主主義の根幹であるからだ。そして膨大なコストがかかろうが、払うべき。なぜなら情報公開しないことによる不正の発生によるコストのほうがはるかに大きいから。

 

といったところになる。彼らの意見には暗黙の前提がいくつかある。まず根本としての民主主義が正しいという価値観はアプリオリなものとして受け入れるとする。そのつぎに民主主義に情報公開が必須のものというのはどの程度正しいのだろう?民主主義に情報公開が必須というのは一見正しいようにみえる。なぜなら民主主義とは字面上からも参加者個々の意志を基礎として組織の意志決定をおこなっていくということであり、参加者が自らの意志を決定するのに必要な情報は提供されないと正しい判断ができないからだ。また、民主主義は運用上、組織が大きくなると組織の意志を代表して執行する機関が必要になる。代表者達が正しく参加者の意志を実行しているかを確認する仕組みが必要だ。

 

まあ、結論として民主主義には情報公開は必須であり、理由は民衆の意志決定に必要な情報を提供するためと、権力の執行状況を監視するためのふたつだろう。

 

どちらも現実の日本では実現できていない。そしてその責任は正しい情報公開をサボタージュしている行政側だけでなく、せっかく国有財産の処分の実態のいいかげんさの証拠が出てきても、そこにメスをいれずに安部総理を失脚させるための口実として揚げ足取りに終始しているメディアやそれに反応している世の中にも大きな責任がある。情報公開を活かせてない。

 

反論のなかで安部政権を倒すことで、そういう不正がなくなるんだというトンデモ主張もあったが、まったく関係ない。実際に世論が騒いでいないものを別の政権ができたところで、わざわざ解決のために力を入れる訳がない。

 

現実問題として情報が公開されても、そんなものチェックできるヒマな国民はほぼいないので、だれかにチェックして要約してつたえてもらう仕組みが必要だ。だからメディアの役割が重要なわけだが、国民に正確な情報を提供する役割ではなく、なにか揚げ足とりのネタを見つけることしか考えてないメディアばかりだとバイアスのかかった情報しか国民には伝わらないことになる。もちろんメディアはひとつではない正しい情報を伝えるメディアがあればいいじゃないかという意見もあるだろう。しかし、自分が信じているのと違う情報を受け取る側はこんなかんじだ。

 

Gustav13 長すぎて1行すら読む気になれない。とりあえず、情報を隠して滅んだ国は知ってるが、公開して滅んだ国は知らないので、まず滅んでから言ってくれ。 

 

death6coin タイトルしか見ていないけど、情報統制で国が亡ぶの誤植ですよね? 

 

rissack だらだら書いてないで簡潔に。公文書同様。

 

 

多くの人は自分の意見と違う意見には頭ごなしに否定するし、聞く気がそもそもない。また、ちょっとでも長い話は理解しようとしない。これはある意味で、あたりまえで、いくら民主主義だ重要だかなんだかしらないが、他人のことよりも自分の生活や目の前のことのほうが大事なのがふつうの人間だ。正しい意志決定のためにそんなにコストはかけられない。ぼくのブログのことを愚民感だとか上から目線だとか批判しているコメントもあったが、民主主義で民衆個人個人の判断能力に限界があるのは、むしろあたりまえのことだ。ノーベル賞受賞者だろうが、自分の専門外で基本的に興味のないことには正確な判断はくだせなくてあたりまえであって、愚民かどうかの問題ではない。

 

結局、上記のようなコメントをするひとが世の中の多くであるためメディアの自制が働かないでPV競争とかに流されると、アジテーターみたいな行動をするひとが有利になる。

 

基本、この構造が現実だし、すくなくとも当分の間は、この状況は変わらないだろう。

この環境でどういう情報公開制度を設計するのがベストかということだ。

 

crowserpent 「粗探しが元凶」みたいな物言いだけど、「あからさまな汚職はほとんど姿を消している」が事実なら、粗探し凄い効果じゃん。この論理だと「どんどん文書の電子化を進めて情報公開しよう」って結論にしかならない。

 

粗探しが凄い効果はそのとおり。粗探しと書いたが、粗探しだろうがなんだろうかメディアの監視機構は必要だ。それはすでに十分働いている。いまの情報公開制度はマスコミの監視に必須ではないし、効果的でもない。

 

sugikota これって欧米の主要国よりも中国とか北朝鮮の方が統治機構として優れてる、ってことなんだけど、本当に同意できる? まあ韓国とかシンガポールみたいにその中間の開発独裁がいいっていうなら筋は通ってるか。 ここにさらなるコストを投入することが、なぜ

 

民主主義はイデオロギーとして正しいとしても、正しいから優れているということにはならない。むしろ正しさとは犠牲を払うものだ。正しいことをやっていればうまくいくというものではない。

 

民主主義とは決して効率のいい政体であるとは限らない。むしろ現状では中国の独裁のほうがすぐれていたという結果になり、100年後は民主主義国家は古代ギリシャ時代につづいて二度目の滅亡をするかもしれない。

 

民主主義を大切だ守りたいと本当に思っているのなら、たんに情報公開すればするほどよくなるなんて幻想をすてて、もっと合理的な民主主義の運用を真剣に考えるべきだ。

 

結局、情報公開の議論が難しいのは、人間の「知りたい」。他人やとくに権力者がなにをやっているの「知りたい」という欲求がかなり感情的なところから来ているからだと思う。サピエンス全史でハラリは、うわさ話をしたがるという能力を人間が獲得したことが社会の形成に役に立ったと論じている。

 

なぜ情報公開が大事か、どんな情報公開にすべきかの議論もせずに、盲目的に情報公開が正しいと信じる人間が多いのは理屈の裏付けがあるからではなく、自分になにか不利益なことが行われていないかを知りたいという本能的な人間の欲求が存在しているのではないか。

 

@otokita 最近、都政にも縁が深い方が書いたとされるブログだが、読んでて頭がクラクラする。行政情報は「原則公開、例外非公開」であり、その本質がまったく理解されていない。

 

これはもはや宗教だ。原則はなぜなのか?本質とはなぜなのか?おそらく彼はひとこともちゃんとした理由を説明できないだろう。でてくるのはおそらくなにかの経典から抜き出した決めつけだけだ。

 

別のひとの批判で情報公開をしなかったから日本は戦争に突入したんだというのがあった。もし正しい情報がでなかったから日本が戦争に突入したというのが本当であれば、それは情報公開をしなかったからというのが理由ではないだろう。自分たちの意見に都合の悪い日本が戦争に勝てないという情報が出ることを当時の世間が許さない空気があったからだ。情報公開が正しいというイデオロギーを否定する意見は頭から否定する、議論ではなくそれこそ人格から否定する、そういう態度こそ、日本を戦争に追いやった空気をつくった元凶とまったく同じではないか?

以上